可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』

映画『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』を鑑賞しての備忘録
2020年製作の日本映画。105分。
監督・脚本・編集は、池田暁。
撮影は、池田直矢。

 

楽隊が演奏しながら鄙びた町を練り歩く。露木(前原滉)が布団から体を起こす。すり減った石鹸を使って顔を洗い、夏の盛りでもスーツを身につけて家を出る。近所に住む同僚の藤間(今野浩喜)もちょうど家を出るところで一緒になる。板橋煮物店で弁当箱を女将(熊倉一美)に預けて、向かうのは津平町第一基地。受付で女性(よこえともこ)に名前を告げて、係の人(角田朝雄)に木札をひっくり返してもらう。制服に着替えると、町長の右腕である川尻(木村知貴)の指示に従って皆で体操をする。町長の棗(石橋蓮司)が訓示を垂れる。皆さん、脅威が迫っています。何の脅威かは忘れました。とにかく、今日もがんばりましょう。露木と藤間の舞台は川に向かい、川岸に陣取る。9時になると、散発的に射撃を始める。対岸からも散発的な銃撃がある。昼休み、露木は藤間とともに食堂で食事をとる。店主の城子(片桐はいり)は息子が露木たちよりも上流の激戦地で向こう岸の連中と闘っていると吹聴する。再び、川に戻った2人は、5時まで射撃を行う。基地に戻り、着替えを済ませ、受付で退庁を告げる。川尻の妻(橋本マナミ)が門の脇で待っていて夫からカバンを受け取る。町長、川尻夫妻、警官(小野修)、露木、藤間が隊列を組み行進するかのように家路に就く。煮物屋では泥棒が煮物を盗む。店主(嶋田久作)は今度この町に凄い部隊がやって来ると言う。露木は弁当箱に厚揚げを詰めてもらい、家に帰る。夕食をとり、顔を洗い、就寝する。楽隊が演奏しながら鄙びた町を練り歩く。露木が布団から体を起こす。

 

残酷な向こう岸から津平町を守る兵隊として規則正しい生活を送っている露木(前原滉)。彼や町の住人の時計のように繰り返される単調な暮らしが、向こう岸の脅威の増大にって徐々に乱されていく、その顚末。
ファミリーコンピュータ用ゲームソフト『たけしの挑戦状』のような、横スクロールのアクションゲームを髣髴とさせる映像で物語が描かれる。
板橋煮物店は泥棒(=警官)対策のために竹輪専門店として再出発する。竹輪には穴が開いている。それは、楽隊の「管」楽器をイメージさせる。また、摂取と排泄のための「管」が進化した人間の象徴でもある。のみならず、竹輪はもともと「蒲鉾」であった。竹輪こそが鉾の形をしているのである。ところが鉾の形をしていない板蒲鉾が「蒲鉾」の名を奪い、元からの蒲鉾は竹輪になった。竹輪は剥奪された存在のメタファーでもある。

映画『水を抱く女』

映画『水を抱く女』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のドイツ・フランス合作映画。90分。
監督・脚本は、クリスティアン・ペッツォルト(Christian Petzold)。
撮影は、ハンス・フロム(Hans Fromm)。
編集は、ベッティナ・ベーラー(Bettina Böhler)。
原題は、"Undine"。

 

ベルリン。カフェのテラス席。ヨハネス(Jacob Matschenz)がウンディーネ(Paula Beer)と向かい合っている。何か飲むか、コーヒーでも。居たたまれなくなったヨハネスが席を立ってカウンターに向かう。いらない。ウンディーネがぴしゃりと断るため、ヨハネスは席に戻る他無い。「話がある」って言ったはずだ。「会いたい」とは言わなかった。「会いたい」って言ってたわ。メッセージに残ってたもの。ヨハネスが止めるのも構わず、ウンディーネは電話に残された音声を確認する。ウンディーネの表情が険しくなる。ヨハネスに着信が入る。行かなきゃ。行かないで。あなたを殺さなきゃならないわ。立ち去ろうとするヨハネス。仕事があるから、ここで待っていて。30分して私が戻ったら愛していると言って。ウンディーネは席を立ち、早足で通りを渡る。カフェの向かいにある歴史ある建物が職場だった。通用口を抜け、守衛(Christoph Zrenner)と挨拶を交わし、階段を上る。踊り場の窓からは向かいのカフェのテラス席が見える。ヨハネスは席から立ち上がり、イライラした様子で電話をしている。彼が立ち去らないことを祈っていると、守衛から声がかかる。皆さん、ガイドが始まるのを待っていますよ。ロッカーで白のブラウスと黒のスーツに身を包むと、ネームプレートを手に「ベルリン都市模型展示場」に向かう。皆さん、ようこそ、ベルリン州政府の都市開発住宅局へ。皆さんはドイツ語が堪能とのことですから、本日はドイツ語で解説します。中央にあるのはベルリン中心部を縮尺500分の1で表した模型です。1990年の東西ドイツ統一以前の建造物は白で、東西ドイツ統一に計画された建造物は茶で塗り分けられています。表面に装飾がないものは建設予定のものです。今、どこにいるかお分かりの方、いらっしゃいますか? 一人の女性がそれに応じて、現在地を模型の中で指し示す。ウンディーネの位置から見ると、たった今、窓からカフェのヨハネスを眺めたのと全く同じ構図になった。凍り付くウンディーネ。あのう、正解ですか? …え、ええ。ウンディーネDDRの東ベルリン都市計画の模型の案内に移る。建物のファサードの色遣いを見て懐かしがる方もいらっしゃいます。アメリカのモダニズムの建築に対抗して先進的な建築デザインを追求し…。ガイドを終えたウンディーネは急いでカフェに戻る。テラス席にヨハネスの姿は無かった。念のため、建物の中の席も確認するが、誰の姿も無かった。カトラリーの棚の上には大きな水槽が設置されているのが目に入る。緑色の海藻の中を10匹ほどの金魚が泳ぎ周る、その中心には潜水士のフィギュアが置かれていた。先ほどのガイド、面白かったです。コーヒーを飲みませんか。ダイバーをしているという男(Franz Rogowski)がウンディーネに声を掛けてきたが、彼女は無反応。電話を落としたのに気付かない彼女のために電話を拾ってやるが反応がない。男が諦めて後ずさりながら立ち去ろうとしたところ、棚にぶつかってしまい、カトラリーがバラバラと落ちる。男がしゃがんで拾い集めていると、彼の上の水槽のガラスに亀裂が入る。ウンディーネが慌てて彼を引っ張るが、ガラスが割れて大量の水が2人を押し流し、床に倒してしまう。男がウンディーネの胸に刺さったガラス片を取り除く。何をしてくれたんだ。保険には入ってるんだろうな。カフェの店員(Enno Trebs)が怒鳴りながらやって来た。2人は顔を見合わせて微笑む。

 

ウンディーネ(Paula Beer)とクリストフ(Franz Rogowski)との恋の行方を描く。
冒頭、ウンディーネが別れ話を切り出すヨハネス(Jacob Matschenz)に対して殺すことになると穏やかでないセリフをさらっと告げるところから、水の妖精・ウンディーネの物語を下敷きにしていることを暗示している。
ウンディーネは歴史研究者であり、ベルリンの中心部にある「ベルリン都市模型展示場」でガイドをしている。彼女自身の口からベルリン(Berlin)の名称の由来がスラブ語の「沼地」にあることが語られて、ベルリンと水の妖精との繋がりが示される。また、西郊にあったベルリン王宮(Berliner Stadtschloss)がベルリンの発展に伴って中心となったという「中心の再構築」や、戦災によって失われた王宮が再建されて「フンボルトフォーラム(Humboldtforum)」(博物館)になったという「形態は機能に従わない」といったウンディーネが語るトピックには、水の妖精の物語を現在の都市を舞台に描き直していることを暗示する。
クリストフがダムの潜水作業中に大ナマズを目撃する。大ナマズは伝説のメタファーであり、クリストフは、伝説(の意義)を摑まえることのできる人物である。だからこそ彼はウンディーネと心を通じ合わせることもできる。そして、クリストフのように伝説がパッケージする教訓に耳を傾けることの重要性を作品は訴えるのだ。
邦題を『ウンディーネ』とせずに『水を抱く女』とすることで、「水の精霊」のみならず、仄かなエロスやタナトスのイメージを引き出したことを評価したい。

映画『アンモナイトの目覚め』

映画『アンモナイトの目覚め』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のイギリス映画。117分。
監督・脚本は、フランシス・リー(Francis Lee)。
撮影は、ステファーヌ・フォンテーヌ(Stéphane Fontaine)。
編集は、クリス・ワイアット(Chris Wyatt)。
原題は、"Ammonite"。

 

掃除婦(Sarah White)が水に濡らした雑巾で床を丁寧に磨いている。邪魔だ。男(Liam Thomas)が作業員に何かを運び込ませる。それは、大英博物館の展示品に新たに加えられることになったイクチオサウルスの化石だった。
イングランド南西部、英仏海峡を臨む町ライムレジス。メアリー・アニング(Kate Winslet)が自室のベッドに横たわると、老齢の母モリー(Gemma Jones)がメアリーを呼ぶ声がする。翌朝、モリーは娘に言いつける。化石と流木を拾いに行っておいで。食いっぱぐれるよ。明け方の曇り空の下、風が吹き荒れ、波は大きな音をたてて海岸に打ち付ける。1人ビーチ・コーミングをするメアリーは、海食崖のやや高い位置にめぼしい石を見つける。斜面は濡れた泥で滑りやすい。何とか攀じ登ったメアリーは石の採取に成功するが、石と共に滑り落ちてしまう。落ちた拍子に割れた石の中には立派なアンモナイトの化石が含まれていた。鶏小屋で卵を取って家に戻ると、モリーが卵を鍋に放り込む。母が朝食の準備をしている間、メアリーは湿らせた布で体を拭く。2人が朝食を取り始めるが、モリーの卵は孵化しかけていたため即座に捨ててしまう。モリーの家は土産物屋を兼ねており、メアリーは閉店後も店で今朝採取したアンモナイトの洗浄を続けていた。扉を叩く者がいる。身なりの良い紳士とその連れ合いが入って来た。もう閉店しましたよ。メアリー・アニングさんですね。化石の専門家として学会でも名の通った貴方に憧れておりました。紳士はロデリック・マーチソン(James McArdle)という古生物学者で、妻のシャーロット(Saoirse Ronan)を伴い標本を求めてヨーロッパ周遊に出ていた。化石のブームは去ったでしょうとメアリーはつれない態度を示す。それにもめげずロデリックは、あなたが洞察力が発揮するところを目撃したいので採取に帯同させて欲しいと訴え、化石の代金やガイド料に加え、割増料金も払おうと提案する。いつの間にか店に姿を現していたモリーはロデリックの申し出に乗り気で、メアリーは承知する。
ロデリックはシャーロットとともにディナーでレストランに向かうが、ホールで演奏される音楽が妻にふさわしくないと判断して静かな部屋を店員に要求する。別室に通されたロデリックは自分の食事とワインを一通り伝えると、妻には焼いた白身魚をソースなしで提供するよう求める。ホテルに戻り、先にベッドに入ったシャーロットは夫が寝間着に着替える際に見せる恰幅が良く体毛の濃い体に視線を送っている。だが、ベッドに入った夫に縋ると、もう1人を拵える時期ではないだろうとセックスを拒まれる。
早朝の海岸。メアリーがビーチコーミングをしているところへロデリックが現れる。ロデリックはメアリーが何に着目しているのかを観察しながら、自らもめぼしい石を探していく。メアリーはロデリックの拾い上げた石を確認し、石の種類と化石の有無を指摘していく。1つだけ糞石があり、魚の化石が含まれていた。ホテルに戻ったフレデリックは、嫌がる妻を埠頭に連れ出す。軽度の鬱病を患う妻には外気に当たることが必要だと考えていた。私の周遊旅行に付いてくるべきではなかった。お前には明るく朗らかな妻に戻って欲しい。ロデリックはメアリーのもとに向かう。メアリーを療養のためにここに残して出かける。数週間、5週間を超えることはあるまいが、メアリーの世話をしてもらいたい。身の回りのことはホテルでメイドにやらせるから、浜辺で私にガイドしてくれたように妻に接してくれたらいい。相応の謝礼は支払う。メアリーはシャーロットの散歩相手を務めることになった。

 

以下では、作品の核心についても触れる。

メアリー・アニング(Kate Winslet)とシャーロット・マーチソン(Saoirse Ronan)とが惹かれ合う様を描いた作品。
冒頭の床を磨くシーン、モリー(Gemma Jones)が死産した子供の代わりとして大切にしている置物を磨くシーン、メアリーが化石をクリーニングするシーン、さらにメアリーが汚れた手をスカートで拭うシーンなど、触覚を強調するシーンが繰り返し現れる。(恋愛関係にあった)シャーロットが去った後、モリーがメアリーにこれからは1人で磨くしかないと言い放つ通り、触覚に拘わるシーンは性愛における行為を暗示し、連想させるもの。
1人暗い部屋でベッドに横たわったり、早朝曇り空の下、冷たい風の吹く海岸で1人ビーチコーミングをしたりと、メアリーの孤独と画面の暗さとが重ねられる。暗い画面は延々と続き、メアリーがシャーロットと行為に及んだ後、ようやく現れる明るい海(画面)が極めて印象的である。
セリフを最小限に絞り、昆虫などのモティーフを挟み込むことで、キャラクターの状況を表現しているのが良い。
医師(Alec Secareanu)の主催する音楽会でシャーロットがエリザベス・フィルポット(Fiona Shaw)と打ち解けて親しげに会話を交わすのを見たメアリーが、激しい嫉妬に駆られるともに、貧しい境遇にある自分が上流階級の人と付き合えるはずがないと思い知らされる。この場面が後の展開にしっかり効いている。その嫉妬や焦燥は、映画『女と男の観覧車』(2017)でKate Winsletが演じたジニーを思い起こさせもした。
画面を支配する強い力を持つKate Winsletに対し、Saoirse Ronanが上流階級の(一見)線の細い女性を演じながら拮抗しているのは流石、いくつもの主演をこなしてきただけのことはある。2人が狂おしく体を求め合うシーンも説得力がある。
映画『アデル、ブルーは熱い色』(2013)、『キャロル』(2015)、『燃ゆる女の肖像』(2019)などの系譜に連なる秀作。

映画『レッド・スネイク』

映画『レッド・スネイク』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のフランス・イタリア・ベルギー・モロッコ合作映画。112分。
監督・脚本は、キャロリヌ・フレスト(Caroline Fourest)。
撮影は、ステファヌ・ヴァレ(Stéphane Vallée)。
編集は、オドレイ・シモノー(Audrey Simonaud)。
原題は、"Sœurs d'armes"。英題は、"Sisters in Arms"。

 

2014年8月。イラク西部のヤズディ教徒の村に住むザラ(Dilan Gwyn)は、画家を志す19歳。ISが勢力を拡大する中、村の守備のため派遣されていた分遣隊の兵士の1人が思わず彼女に見とれてる。やめておけ、ヤズディの彼女がお前を相手になんてしないさ。ある日、父(Darina Al Joundi)から高価な赤い絵具をプレゼントされたザラは喜ぶ。父さん、ありがとう。ザラは孔雀のような羽を持つ天使を絵に、赤い絵具を加えていく。村に駐屯していた分遣隊が密かに撤収し、ISの兵士が複数の車両で村を急襲する。部隊を率いるアブ-・マリアム(Abdelaziz Boujaada)が拡声器で住民に告げる。異教徒に慈悲を示してやろう。改宗し、金品を提出しろ。村人たちは並ばせられ、一人ずつ所持品を確認されて金目の物を取り上げられたうえ、性別や老壮に分けて車に乗せられていく。アブ-・マリアムの前に連行され、改宗を迫られたザラの父は、改宗を強制できないとクルアーンに書いてあるはずだと主張する。何故お前にクルアーンが読めるんだ。ザラの父はアブ-・マリアムに銃で額を打ち抜かれる。兄シャヒン(Roj Hajo)や母(Mouafaq Rushdie)と引き離されてバスに乗せられていたザラは、弟ケイロ(Filippo Crine)の目を覆いつつ、その光景を窓越しに目撃することになった。
荒野の中にぽつんと立つISの検問所。部隊から遅れた車両の運転手から性奴隷の売買について尋ねられていた兵士がスナイプ(Nanna Blondell)によって狙撃され、脳天を打ち抜かれる。銃声を聞いて建物から飛び出した男をコマンダー(Amira Casar)が撃ち殺し、レディ・クルダ(Noush Skaugen)、マザー・サン(Maya Sansa)とともに建物に侵入するが、蛻の殻だった。コマンダーは運転手に銃を向ける。女には殺されたくないと、彼は喉元にナイフを宛がう。コマンダーが男なんていたっけと周りを確認する素振りをすると、運転手を射殺する。
ザラたちを乗せたバスがISの性奴隷の集積所に到着する。女性たちは名前、年齢、身長、体重を尋ねられ、仕分けられていく。ザラの前にいた女性は質問に答えようとしなかったために殴られた。ザラは一緒にいたケイロを息子だと伝えるが、兵士に確認されたケイロは姉ですと答えてしまう。ザラはケイロと引き離されて「検品」されることとなった。

 

ISに立ち向かう女性義勇兵から成る特殊部隊の闘いを描く。
ISが、男女が同じ部屋で過ごしてはならないなどセックスに関して厳しい掟を支配地域で街宣しながら、異教徒の女性などを性奴隷として売買している二枚舌を扱っている。また、異教徒の殺害や焚書など、ISの残虐さが描かれている。他方、かつて米軍兵士としてイラク戦争に従軍経験のあるスナイプに「アメリカの失敗」が突き付けられるシーンがあるものの、出鱈目で残虐なISが勢力を拡大できた背景・原因について描かれることはない(例えば、映画『ある人質 生還までの398日』(2019)の原作であるプク・ダムスゴー〔山田美明訳〕『ISの人質 13カ月の拘束、そして生還』光文社新書(2016)には多少とは言え、言及がある)。善悪の単純化に加え、紋切り型の表現が、多様な背景を持つ個性的な特殊部隊メンバーの魅力を十分に輝かせることが出来ていない嫌いがある。
本作と共通するテーマを扱った作品に、映画『バハールの涙』(2018)がある。

展覧会 吉田和夏個展『beyond the night』

展覧会『吉田和夏個展「beyond the night」』を鑑賞しての備忘録
GALLERY MoMo Projectsにて、2021年3月27日~4月24日。

恐竜をモティーフとした作品を中心に27点の絵画で構成される、吉田和夏の個展。

《クラクラ》は、やや縦長の画面の左下から右上方向に向かって、横から捉えた緑色の恐竜を描いた作品。爬虫類の皮膚ような生々しい恐竜というよりは、塩ビのようなフィギュアを思わせる姿をしている。後ろ脚で起ち上がる恐竜の頭が画面中央よりも右手に位置するため、あたかも恐竜が仰け反るようで、鑑賞者は恐竜を下から見上げているような感覚になる。鋭い眼と固く結んだような口が印象的な頭部の周囲には、黄色い星と、透明な星型のゼリーのような物体が取り巻いている。後ろ脚の部分は画面から切れていて、胴や前足の部分は、動きを示すためか、ブレた写真のように暈かされている。《グリーンランタン》にも、やはり緑色の恐竜が描かれているが、恐竜はバルーンでできているかのように丸みを帯び、タイトルに「ランタン」とある通り内部の光源によって発光する様子を捉えている。上から見下ろす構図で恐竜を捉え、黄色い星が描かれた壁には恐竜の大きな影が映る。薄暗い室内でベッドに腰掛ける少女の発光するような裸体から黒い影が背後の壁に延びるエドヴァルド・ムンク《思春期》に比することもできようか。ゼリーのような星が空間を浮遊している。両作品は、青地に黄色い星の背景に、フィギュアのような恐竜が描かれている点で共通する。《From the room side》では、青い地に黄色い星が描かれた壁紙を背景に、図鑑などに挟まれたキノコの模型が描かれている。作品に表される「星空」の背景は、実在するかどうかはともかくも、壁(室内)の表現であることは疑いない。新型コロナウィルス感染症の感染拡大を防ぐために、外出を控えることが求められる状況がある。室内の閉鎖環境において、星空すなわち宇宙の広がりを見出すことで、開放感を少しでも味わおうという願望が透けている。あるいは、広大な宇宙空間に浮かぶ地球という閉鎖空間で繁栄を極めた恐竜が姿を消したように、「人新世」をもたらした人類が滅亡する可能性を暗示しているようにも解される。
《Night Trip》は、エルンスト・ヘッケルの本の上に置かれた椎茸の民芸品(茎に顔が描かれている)をモティーフとする作品。椎茸の笠は銀河ないし星の爆発のように延び広がっている。それに併せて周囲の空間も歪んでいく。"Night Trip"は時空を超える旅である。ゼリー(ヘッケルに絡めればむしろクラゲ?)のような星が画面に浮かんでいるが、今届く星の光の中には、恐竜が生きていた時代に発せられたものもあるだろう。星はタイムカプセル、あるいは「コールドスリープ」のための装置に比せられる。《ささやき》、《眠りの化石》、《夜をこえて》には、それぞれ恐竜がゼリーのような星の中に凍結されている様が描かれる。未来での再生を願って恐竜たちは眠りに付かされたのだ。作家の絵画もまた、星形の冷凍保存装置と言えまいか。未来に希望を託して、現在を封じ込めているのだ。