映画『運命は踊る』を鑑賞しての備忘録
ある朝、突然軍の関係者3名がミハエルの自宅を訪れ、息子ヨナタンの戦死を告げる。ショックを受けた妻ダフナには即座に鎮静剤を注射し、ミハエルには事務的な連絡事項が淡々と伝え、彼らは退去する。続いて、軍の葬儀担当者が来訪し、半ば一方的に葬儀の式次第を決定していく。その後、訃報を伝えた3名がミハエルのもとを再訪し、戦死したのは息子と同姓同名の他人であることを告げる。激昂したミハエルは、すぐにヨナタンを帰宅させるよう要求し、その願いが受け容れられないとみると、友人の伝で軍の情報部に手を回すべく手を打つ。
ヨナタンの任地とはそう遠く離れてはいないようだが、ミハエルのすまいのある高層住宅に戦争の影は見えない。それは絵画や写真がかけられた、暮らし向きの良さそうな静謐な室内空間が、水平的で固定的なカメラワークで映し出されることで表現される。それに対し、訃報に動揺するミハエルは、真上からのアングルへ切り替えられ、ミハエルが歩き回ったり、カメラ自体の回転による映像で強調される。
ヨナタンの訃報が誤報であることが判明すると、ヨナタンの任地へと場面が切り替わる。広々とした荒野に設けられた検問所をラクダが悠々と通り過ぎていく。戦地とは思えないような牧歌的な光景。しかしながら、どんなに穏やかな風景であってもヨナタンらは戦地にいるのだ。彼らは名の無い何ものかに常に脅かされ続けている。検問所と宿営との間には、移動の度に横切らなければならない沼があるのだが、そのために宿営のコンテナが日々傾きつつある。それは彼らに迫り来る破綻を象徴している。しかも彼らは気がついている。破綻に対処するべく行動を取ろうとしたときには既に手遅れであるということを。
原題はヘブライ語のため理解不能だが、英題(?)は"Foxtrot"という。これはダンスのステップのことで、前・前・右・後・後・左と順に足を動かしていくもの。結果、もとの位置に戻ることになる。これは避けられない運命の比喩となっていて、3回別々の場面でダンス・シーンが登場する。
ダンスとともに、ヨナタンが描く漫画・イラストも印象的で効果的。『最後のベッドタイムストーリー』と名付けられた漫画は家族のつながりを説示する。そして、最後の2枚のイラストは作者の運命(取り返しの付かない油断と、それが招いた悲劇に対する作者の悔悟の刻印、そして運命への抵抗でもある)を語り、物語の終焉に向かう。