展覧会『TOKAS Project Vol. 1 日/中/韓パフォーマンスとメディア 70's - 90's』を鑑賞しての備忘録
トーキョーアーツアンドスペース本郷にて。2018年10月13日~11月11日。
ビデオアートの先駆者であるジャン・ペイリー、出光真子、パク・ヒョンギの3名の作品を紹介する企画。
出光真子の《主婦の1日》は主婦の起床から就寝までを描く1977年のビデオ作品。寝室、庭、店など場面は移り変わっていくが、常に片目が大写しになったテレビ画面が映り込んでいる。
近年、公共空間における監視カメラの設置が進むとともに、素人により撮影された写真や動画がツイートされたりニュース番組に採用されたりするなど、監視社会化が顕著になっている。このような社会を予見していたものとしてジョージ・オーウェルの『1984』も再評価されている。
出光真子のこの作品も、40年以上前の作品でありながら、プライベートの監視をテーマとした作品として刺激的。モニターに映し出される目は、「ビッグブラザー」を想起させる。
出光作品の目は監視の主体の存在を想起させるが、実際に主婦の一日を監視するのは、作品を見ている鑑賞者自身である。ジャン・ペイリーの1998年の作品《Personal Hygiene》は髭を剃るシーンが3つのカメラで映し出され、1996年の作品《Uncertain Pleasure II》では12台のテレビモニターにそれぞれ異なる身体部位とそこを搔く姿が描き出される。プライベートを映し出す作品を眺める鑑賞者は、やはり「看守」のような立場に置かれる。
これらの作品に対し、パク・ヒョンギの《Pass Through the City》は、トレーラーの荷台に載せられた鏡付きの巨大な岩が、ギャラリーへと搬入する過程を追ったビデオ作品(1981年)。トレーラーが大邱の市街を走行すると、鏡は街の光景を映し出していく。巨大な岩という作品は、人々の注目を集めるが、そこには作品を見る人々が映し出され、しかもその様子が実際にビデオに撮影されている。出光やジャンの作品との関連で見ると、それらの作品が被写体を限定していたのに対して、都市の不特定多数の人々を被写体とするパクの作品は、見る行為と見られる行為との同質性を積極的に暴いているようにも見受けられる。誰もが撮影者になれる社会は、当然ながら誰もが被写体になる社会でもある。