映画『search サーチ』を鑑賞しての備忘録
アニーシュ・チャガンティ監督。アメリカ。2018年。
デヴィッドの妻パムは闘病の甲斐無く亡くなってしまう。一人娘のマーゴットは高校生だが、デヴィッドは電話やSNSを通してコミュニケーションを心がけている。どこにいるのかの把握に努め、ゴミ出しをサボっていることへの小言も忘れない。ただ、悲しい気持ちにさせたくないので、妻の話題は極力避けている。ある日、帰りが遅いと娘に連絡を入れると、友達の家で生物の試験勉強をしていて帰れないかもしれないという。そのまま寝入ってしまったデヴィッドは、翌朝娘からの不在着信に気付き、電話をするが娘は電話に出ない。同級生の母親から娘が友人と山へキャンプに行っていると聞き安心していたところ、その同級生本人からマーゴットはキャンプに来ていないとの連絡を受ける。娘の行方が分からなくなったことにようやく気付き、慌てて警察に捜索願を依頼する。
この作品の特色は、デヴィッド一家の団らんを描く冒頭の前日譚から、娘の失踪事件とその顛末まで、一貫してPCのデスクトップ上で描かれるという点にある。たしかにそこまで徹底しないでも良かったシーンはあるが、画期的な作品としての話題づくりには、やはり作品全てがデスクトップ上で展開することが必要だったのだろう。デヴィッドと捜査官とのビデオ通話を中心に、マーゴットの複数のSNSのデータを映し出し、父親の知らない娘の生活が少しづつ明らかになっていく。幼い頃から妻に教わり大好きなはずのピアノ。マーゴットはレッスン料をデヴィッドから受け取り続けながら、半年も前にピアノ教室に通うのを辞めていた。SNSを通じた数多くの友人たち。つきあいは深くなく、学校では孤立気味だったようだ。風景写真を撮影し、ネット上で見知らぬ人たちに見せて、やり取りを愉しんでいた。これらの情報が非常にテンポ良く繰り出され、少しずつ失踪の真相が明らかになっていく。よく練られた脚本で、一筋縄ではいかない展開が用意されている。デスクトップだけで完結する奇を衒った作品なのではなく、見応えあるサスペンスである。
原題は"Serching"。無論、行方不明の娘を捜索しているということ、インターネットで情報を検索しているということだ。だが、おそらく一番重要なのは、父親が妻を失った後にいかにして娘に向き合うか、それを模索しているということにある。最初と最後に、黒い画面に白い文字でタイトル"Searching"が点滅するカーソルとともに表示されるが、それは、父親の役割が常に手探りで迷いながら果たされていることの表現だろう。
この映画にリアリティを与えているのは、私生活というものが様々なデータとして蓄積・保存されている現実があるからこそだ。