可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『野分、崇高、相模原』

展覧会『SUPER OPEN STUDIO 2018 Exhibition 2 野分、崇高、相模原』を鑑賞しての備忘録

アートラボはしもと他で2018年10月13日~11月4日。


相模原市、町田市、八王子市に所在するスタジオを公開するイヴェント「SUPER OPEN STUDIO 2018」。その関連企画に2つの展覧会があり、1つは作家自身が企画する「SOMETHINKS Planning by ARTISTS」(アートラボはしもと)、もう1つが中村史子(愛知県美術館)の企画による「野分、崇高、相模原」((アートラボはしもと他全7箇所)。アートラボはしもとのみ鑑賞。

 

小田原のどか《Exegi monumentum われ記念碑を建立せり》について。

橋本駅の裏手に、アリオ橋本という巨大なショッピングセンターがある。その裏手にはアートラボはしもとという相模原市文化施設が建つ。その建物の裏手の空き地の中央に、白い頭像がぽつんと置かれている。巨大な駐車場と道路と、アートラボはしもとの建物に囲まれた空間には、数多のエアコンの室外機から排出されるゆるやかな風が吹き付ける。「野分」というタイトルを揶揄しているかのようだ。駐車場側のフェンスには赤地に白い文字で「Exegi monumentum」、白地に赤い文字で「われ記念碑を建立せり」と書かれた標識が設置されている。柔らかな表情たたえた女性らしき頭像は、草むらに放置されているかのようにしか見えない。「建立」という言葉はそぐわない。
空き地に出る建物の裏口に戻り、自作解説を読む。物理学者の木村一治が、原爆投下から2ヶ月後に長崎で爆心地を調査した際、無慚に破壊された浦上天主堂の柱から天使像の頭部を剥ぎ取った。被爆時の状況を想像して「心のなぐさめを求めた」のか、記念になるものを探し回った挙げ句の所業であった(現在、その像は長崎原爆資料館に寄贈され、常設展示されている)。作者は、木村の行為を「『建立』とはまったく別の彫刻の発見」と捉え、「頭像を模刻し、ここに置くことにし」た。模刻と原物とは、「それほど似ていない」が、「ここにあるものは、すべて何かの代わりで」あり、「そこにこそ、彫刻の存在する意味があるように思」う。
木村一治は爆心地で無力感に苛まれただろう。天使像を損壊し取り出す行為には、自らの非力さへの糾弾とともに救いを求める祈りとが込められているのではないか。頭像は、被爆者に対する自らの無力さの象徴となった。その頭像を模刻して展示したところで作者は、木村自身に救いの手を差し伸べることはできない。しかし、作者の作品によって、木村の無念や、それを通じて被爆者の存在を、長崎から遠く離れた相模原で作品の鑑賞者は知ることになる。彫刻は、そのものであることは決してできない。常に何かの「代わり」になることしかできない。けれども、「代わり」だからこそ、そのもの(その人)を超えて存在することができる。
「ぜひ、草むらに置かれた彫刻にふれてみてください。木村さんが、1945年に天主堂の瓦礫の中で、かの彫刻にさわったように。」との言葉に誘われて、再び、空き地に出る。断続的な雨の降る日で、晴れ間はなかったが、薄くなった雲の向こうから力の無い日が射しこみ、頭像の白さは、草むらの中で、先程より明らかに鮮やかに見えた。