可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『カタストロフと美術のちから展』

展覧会『六本木ヒルズ森美術館15周年記念展 カタストロフと美術のちから展』を鑑賞しての備忘録

森美術館にて、2018年10月6日~2019年1月20日

カタストロフをめぐる美術を通じて、美術の役割を考える企画。

カタストロフに対しては強い関心が払われる。被害の甚大さや犠牲者への追悼など、報道が取り上げる対象とは異なる対象に目を向けさせたり、報道の取り上げ方とは異なる手法での表現を美術家には期待したい。

米田知子の写真は、住宅や公園や空き地の静閑な光景を切り取りつつ、タイトルによってそこで起きた出来事を示し、その落差による衝撃を見る者に与える。

エヴァフランコ・マッテスの《プランC》は、北イタリア出身のエヴァが幼い頃発生したチェルノブイリ原発事故を語ることで始まる映像作品。現場付近に開園予定だった遊園地の遊具を、イギリスの美術展で再建するプロセスを追う。美術作品の文脈でなければ実現が難しいプロジェクトだ。

カタストロフというと社会を震撼させる出来事を考える。だが、個人の抱える問題は、カタストロフと同様、あるいはカタストロフ以上に解決が困難であったり持続的な問題ともなりうる。そういった個人の問題に焦点を当てた作品を合わせて紹介している点が興味深い。

カテジナ・シェダーが、生き甲斐を見失ってしまった祖母に、かつての職場にあった商品を思い出して描いてもらったドローイング作品の数々。サイズ違いの工具のようなものが飄々と描かれた作品は、山本容子の作品のような洒脱があって非常に魅力的だった。

ジリアン・ウェアリングの「誰かがあなたに言わせたがっていることじゃなくて、あなたが彼らに言わせてみたいことのサイン」シリーズは、街行く人に抱える思いを紙に書いてもらいその人ともに撮影する写真作品。インベカヲリ★に通じるものがある。

黄海欣の絵画は、自己の問題から目を背けたり、他者の惨劇を楽しむ人々の姿を、ヘタウマで描いて印象的。

 

「ハピネス」をテーマにした企画展でオープンした森美術館がカタストロフをテーマに開館15周年記念展を開催したことは興味深い。もっとも、自分たちの「足下」を見つめ直すテーマを扱わなかったのは残念。Chim↑Pomには回転扉をテーマにした作品をぶつけるなどして欲しかった。

それにしても、タイトルを「美術のちから」として、「ちから」を平仮名で書き加えたのは何故なのだろう。そしてオノ・ヨーコの作品を展示作品に加えた(しかも展覧会の最後に設置した)のは何故なのだろう。森美術館の館長(南條史生)は「経済を活性化したいなら美術館を『文化のゼネコン』にすればいい」(毎日新聞2018年11月5日夕刊4面)とのことだが、津波にはスーパー防波堤、美術展にはオノ・ヨーコという発想なのだろうか。