展覧会『たばこと塩の博物館開館40周年記念特別展 ウィーン万国博覧会 産業の世紀の幕開け』を鑑賞しての備忘録
たばこと塩の博物館にて、2018年11月3日~2019年1月14日。
明治政府が1873年のウィーン万国博覧会へ参加してどのような展示を行ったかを中心に、同博覧会の日本への影響について紹介する企画。
新政府で外交を担当していた沢宣嘉にオーストリア側からウィーン万博への参加について打診を受けた際、1867年のパリ万博で赤字だったことから回答を留保していたという。赤字だったのは幕府、薩摩藩、佐賀藩のいずれだったのだろう(あるいはいずれもか)。
1871年、明治政府はウィーン万国博覧会への参加を決定すると、博覧会を告知するとともに、全国の物産調査を行っていく。渋沢栄一は養蚕に詳しく、多忙の中養蚕に関する報告書の監修を行ったという。
1872年に湯島聖堂を会場に文部省主催の博覧会が開かれ、鉱物や動植物から絵や楽器など様々な品々を展示・紹介した。金鯱の展示もあり、ガラスを用いた展示ケースが用いられていた。
ウィーン万博への日本の出品物は細かく分類されていた。漆芸や磁器などの工芸品を中心としつつ、人形や建物の模型、大仏の頭部(の模造品)など、日本の生活や文化を伝えるものも展示された。日本庭園も設けられ、神社の社殿や橋なども設けられた。団扇が土産物として好評を博したという。
記録写真はいずれも興味深い。出品作品についてはいくつか実物が展示されている。
ウィーン万博の地図も魅力的。
展示されている博覧会で展示されていたと伝わる金属製の灯篭には、徳川家の紋(丸に三つ葉葵)らしきものが象られている。明治政府が徳川家のゆかりのものを出品するだろうかと疑問に思う。
日本庭園の買収を持ちかけられたことを契機に、起立工商会社を設立して、出品作品の売買などが進められた。
ウィーン万博自体は2000万人の来場者を見込んでいたが、実際の来場者は760万人で大赤字であった。責任者のSchwarz-Senbornを揶揄したカリカチュアが紹介されている。
博覧会会場の中心に建設された「ロトゥンデ」と称される建物は解体費用を捻出できなかったがゆえにその後もしばらく利用されることになったという。
明治政府は、ウィーン万博後、国内の産業を振興するために内国勧業博覧会を実施するとともに、常設の「博物館」を設置する。
外国との貿易が盛んになるにつれ、工業所有権の類の保護が認識されるようになり、後の工業所有権に関するパリ条約の批准などにつながっていく。
物産調査(『煙草集説』など)、万博出品物(煙管で喫煙する日本では珍しい葉巻向けの漆芸品やオーストリアの草食パイプなど)をはじめ随所にたばこに関する展示物がきちんと用意され、「たばこと塩の博物館」の企画としての筋を通している。
ウィーン万博をはじめヨーロッパへの日本の文物の流入は「日本趣味」を生む。クリムトも日本趣味の作品を残しているとのことで、その習作2点が紹介されている。本展の趣旨からはやや遠いが、習作とはいえクリムトの作品が見られるのは良い。