展覧会『大♡地図展 古地図と浮世絵』を鑑賞しての備忘録
東洋文庫ミュージアムにて2018年9月15日~2019年1月14日。
国内有数の規模を誇る東洋文庫の地図・地誌関係資料から、江戸時代までに日本で作成された地図と、名所絵などの浮世絵を紹介する企画(ディスカバリールーム)。世界における地図の歩みを紹介する『世界を見る・歩く・描く 歴史に名を残す地図と旅行記』(オリエントホール)と、現在世界遺産に指定されているアジアの景観が掲載された書籍を紹介する『夢の豪華ツアー! アジア世界遺産めぐり』(モリソン書庫)という関連企画も併催。
展示の前半では、日本図の歴史を辿る。「日本」を描いた地図の走りは「行基図」と総称されるもので、「くに」が葉っぱが広がるように連なって描かれたものだった。江戸時代には、初めに日本列島の形を捉え、その中に「くに」を書き込む石川流宣の『本朝図鑑綱目』(1687年初版)が刊行され、90年にわたるロングセラーになった。そこでは大名やその石高などが丁寧に紹介される一方、地理的精度は二の次とされた。これに代わってスタンダードになっのは、地理的正確さを反映させた長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』(1779年)であった。
展示の中盤では、「伊能図」(『大日本沿海輿地全図』)で知られる伊能忠敬の測量(1800~16年の間に10回)の行程を辿りながら、関連する地域の名所絵などを紹介する。後半では、江戸の地図やガイドブック、冨士講などを紹介する。
所蔵資料での構成のためやむを得ないが、伊能図自体は紹介されていないのは残念。また、幕府が諸大名に提出させた国絵図についても触れられて織らず、シーボルト事件に象徴されるような地図の軍略(軍事機密)的性質について言及がない。
『本朝図鑑綱目』から『改正日本輿地路程全図』への転換については海防への意識の高まりについて言及があったが、江戸時代における刊本としての日本図の需要層やその入手目的についても解説が欲しかった。文化人でなければ、公務(参勤交代や訴訟)以外で国内を移動するのは富士講やお蔭参りなどに限られていただろうからだ。
江戸の観光をテーマに絞り、地図、浮世絵、版本を紹介する企画とした方が良かったように思われる。
オリエントホールでの展示『世界を見る・歩く・描く 歴史に名を残す地図と旅行記』では、世界最古の世界図と考えられているバビロニアの地図や、キリスト教の世界観を表すTO図、鄭和の航海図など世界の地図の歴史をたどる試み。
世界最古のバビロニアの地図は、中央にバビロニアが描かれ、周囲に都市が点在し、それを苦い川(BITTER-FLUSS)が環状に取り囲み、その外に未知の世界がいくつも三角形の形で飛び出している。全体としては太陽か星の表現のように見えるもの。
ビザンツ帝国の修道士コスマスは6世紀初めに黒海・アラビア・東アフリカ・セイロンなどを旅した商人で「インディコプレウステス(インド航海者)」と呼ばれていた。彼は、世界が長方形であるとして、立石タイガーの作品に見まがうような、帽子のような陸地を描いてのイラストレーションを試みている。
バニロニアの地図はウンガー・エックハルト著の『バビロン』(1970年)に掲載の図、コスマスのイラストレーションは『キリスト教地誌』(1897年)所収のものである。このように、一部を除いて、書籍に掲載された図版としての地図を紹介しているのであるから、地図自体の説明だけでなく、書誌についての解説も充実させて欲しかった。その地図がその書籍が刊行された当時に持った意義を知りたいのだ。そして、そこに「文庫」のミュージアムならではの個性が生きるのではないだろうか。