可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 平子雄一個展『Leftover』

展覧会『平子雄一展「Leftover」』を鑑賞しての備忘録
第一生命ギャラリーにて、2018年11月9日~12月7日。

平子雄一の《Leftover》と題された絵画シリーズの紹介。2018年に制作された《Leftover 5》・《Leftover 6》《Leftover 7》は、いずれも4枚の画面を縦横2枚ずつに組み合わせて1つの作品としたもの。
様々な植物を植えた鉢が、壺や本や楽器や様々な物とともに室内を埋め尽くしている。森の中のように巨大な樹木がうねりながら室内を横切っていきもする。そして、その1つの画面に描かれた樹木が、別の画面の、森の中の樹木だったり、別の画面の人物の腕へと繋がっていく。全く別の世界が樹木のようなかたちを媒介に接続されている。時折描き込まれる、ベッドやソファに腰掛けて読書をしたり、車を運転していたりする、樹木の頭部を持つ人物の存在も、同じ世界であることを表わしている。同時に、樹木の人物は、作品にユーモラスな印象を与え、不思議な魅力を湛えている。

平子雄一は、「観葉植物、街路樹、公園など」は「少し滑稽な状況に思え」るという。というのも、それらが「本来の自然の断片や模倣であ」り、
「通常生活圏では植物は力がコントロールされ、必要のないものは排除される存在(弱者)」となっているため、「そもそも自然とは何か定義する」ことすら「とても困難」だからだ。そこで、「自然物や植物を人や構造物と同価値のものとして扱」い、「境界が曖昧な状況」を作品として呈示しているらしい。

平子勇一の作品を特徴付けている樹木の頭部を持つ人間は、本来的な意味で自然と言えないものを「自然」として享受している状況、人工的環境(人体)への自然物(樹木)の「接ぎ木」する常態の表現であった。そして、この状況に対する「滑稽」との作者の心証までも、樹木人間の持つユーモラスな印象で見事に形象化しているのだ。
また、絵画という形式は、1つの画面(平面)の中に描かれる対象が何であっても押し込めてしまい、それら対象を等価に扱うことを可能にする。同時に、複数の画面で構成することよって境界を区切りつつ、それらを類似のかたちでゆるやかに接続させることで、境界の存在を起ち上げながらその無効を同時に表現してしまってもいる。

 

陶製の立体作品《Compost》シリーズ4点もあわせて展示されている。