可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

舞台 iaku『逢いにいくの、雨だけど』

舞台 iaku『逢いにいくの、雨だけど』を鑑賞しての備忘録
三鷹市芸術文化センター星のホールにて、2018年11月29日~12月9日。

 

iakuは劇作家・演出家の横山拓也が2012年に立ち上げた大阪を拠点とする演劇ユニット。三鷹市芸術文化センターでの公演は、『流れんな』(2014年、再演)、『エダニク』(2016年、再演)に次いで3回目で、新作。

 

金森君子(異儀田夏葉)は新進の絵本作家。美大卒業後、焼肉店でアルバイトをしながら制作に励むも長い間芽が出なかったが、画風をがらっと変えた『ひつじのめいたんてい メエたん』で大手出版社主催の絵本新人賞を受賞する。仕事場を提供している石本智(納葉)は手放しで喜ぶが、君子には素直には喜べないわだかまりを抱えていた。
君子が小学4年生のとき、絵画教室のキャンプで、幼馴染みの同級生・大沢潤(尾方宣久)が左目を失明する事故を起こしてしまう。君子が持参していた亡き母の形見のガラスペンを取り合っている際に潤の左目をペン先で突いてしまったのだ。
君子の父・悠太郎(近藤フク)と潤の母・和子(川村紗也)は大学の同級生だが、お互いの子供が偶然同じ絵画教室に通うことになり、また和子は妻に先立たれて娘を抱える悠太郎を心配していたことあって、学生時代以来の交友関係を続けていた。しかし、潤の父・秀典(猪俣三四郎)は、妻が独り身になった悠太郎と頻繁に会うことがかねてから気に入らなかった。潤の通院する病院の近くに引っ越すことで、妻と悠太郎との関係を断ち切ることにした。しかも和子が潤と君子とを合わせたくないと連絡先を教えなかったことから、君子は事故後、一度も潤に会うことがないままだった。
実は、新人賞を受賞した「メエたん」は、潤が年賀状にデザインした干支の未にそっくりだった。ストーリーを考えるのは得意でも絵で苦労していた君子が、苦心の末に記憶の奥底から呼び覚ました潤の未が、メエたんのキャラクターにぴったりはまったのだった。
母を亡くして以来、君子を育ててくれたのは叔母の小出舞子(橋爪未萠里)だった。事故の際、潤のためにも絵を描き続けるよう君子を励ましてくれたのも舞子だった。事故後、何故か家を空けるようになった父に代わり、舞子が事実上の母親として君子の面倒を見続けてくれた。その舞子にも新人賞受賞の話を切り出せないでいるほど、潤の事故は君子にとってトラウマとなっていたのだ。
授賞式の慌ただしい年末が過ぎ、年明け早々、君子は担当編集者から「メエたん」の読者の一人と会うよう依頼される。場所は何故か野球場。出迎えた球場スタッフの風見匡司(松本亮)は娘がファンだと話を切り出すが、突然、君子の絵が大沢潤の作品の盗作であると言い始める。

事故で左目を失明してしまった潤と、事故を招いてしまった君子が27年ぶりに再会して気持ちを伝え合う場面が山場の1つ。潤は繰り返し謝る君子に対して謝らないように要求する。高校の部活で右目を失明した風見は潤を「達観」していると評する。しかし、潤は、謝らなくていいということが「許す」ということではないと言う。10歳の頃の事故で失明した潤は、右目だけで生きる状況を徐々に受け容れて生活してきた。片目の失明以降の生活は、潤にとってかけがえのない日々であり、謝罪されたり償われるべき否定的な価値を持つものではないのだ。潤は片目を失ったことで、失っていない人が見失ってしまう価値を見出すことができているのかもしれない。

作品の前半では、悠太郎と和子の会話シーンがあり、「頭が下がる」ことと「頭が上がらない」こととは同じか否かが話題に上る。ここでは同じ「頭の上がっていない絵」をどのように評価するのか、頭が下がって今の状態なのか、頭を上げられずに今の状態なのかという、捉え方の違いの問題だ。そして、劇中では、同じ出来事に対して、全く違う捉え方がなされる結果が惹起する人間関係が描かれるだろう。

 

iakuの作品は、登場する人物一人一人の思いに共感できる。複数の視点でものを見ることができてしまうのが魅力。本作にもその魅力がある。