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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『終わりのむこうへ:廃墟の美術史』

展覧会『終わりのむこうへ:廃墟の美術史』を鑑賞しての備忘録
渋谷区立松濤美術館にて、2018年12月8日~2019年1月31日。

 

廃墟を描いた絵画を紹介する企画。
2階の第1会場は、Ⅰ章「絵になる廃墟:西洋美術に於ける古典的な廃墟モ
チーフ」、Ⅱ章「奇想の遺跡、廃墟」、Ⅲ章「廃墟に出会った日本の画家
たち:近世と近代の日本の美術と廃墟主題」の3章から構成。地下1階の第2
会場は、Ⅳ章「シュルレアリスムのなかの廃墟」、Ⅴ章「幻想のなかの廃
墟:昭和期の日本における廃墟的世界」、Ⅵ章「遠い未来を夢見て:いつ
かの日を描き出す現代画家たち」の3章から構成。

 

ヨーロッパの絵画においては、「聖書や古代文学を主題とする歴史画を頂
点として肖像を次位に、風俗画や風景画や静物画を下位に置く絵画主題の
序列」が存在した(フランスで1668年出版のアンドレ・フェリビアンの講
演録。新畑泰秀「風景画への目覚め 17世紀のイタリアとオランダ」『明る
い窓:風景表現の近代』大修館書店[2003]16~17頁)。だが、イタリアで
は「歴史画でありながら風景が単なる背景から脱して主題と拮抗する」よ
うな「純粋に写実的な風景画とは一線を画す『理想的風景画』と呼ばれる
物語と風景を両立させたジャンル」が既に確立されていた(17世紀のフラ
ンス人画家クロード・ロランやニコラ・プッサン。新畑・同4~5頁)。ま
た、オランダでは、風俗画や静物画の中に「ヴァニタス(はかなさ)」が
隠されているのと同様、「風景画にも隠れた風景の中に認められるモティ
ーフを日常の経験と結び付け」、鑑賞者が「時には道徳的な背景を想起す
る契機になる」との解釈も見られるという(新畑・同13頁)。
18世紀に入ってヨーロッパにおける大国の地位を確立しつつあったイギリ
スでは、上流階級に属する人々が、古典古代趣味から、イタリアへの「グ
ランド・ツアー」を行うようになった。彼らは「アルプスを越えてローマ
に達し、歴史的な遺跡のある風景を歩き回って『絵画的表現に適った』風
景に触れ」、「さらにそれを自然と建築(時に廃墟)に融合させて描いた
クロードやデュゲらの絵を」持ち帰った。これが「ピクチャレスク(絵画
的なもの、絵画的要素をもつもの)」との観念を生んだ。平滑・整然な美
を絵画に導入しようとすれば形式張ってしまい喜びを与えるものにならな
いため、「左右非対称、意外、不規則な」美的感情を喚起するものを対象
にするべきという(ウィリアム・ギルピンの1792年の論文。新畑泰秀「風
景画の興隆 18世紀から19世紀初頭のイギリス」『明るい窓:風景表現の近
代』大修館書店[2003]77~89頁)。グランド・ツアーはまた、アルプス越
えの際に自然の「サブライム(崇高)」を実感させた。「『美』が基本的
に感覚に快く穏やかな歓喜や幸福感を喚起するのに対し、『崇高』は壮大
、粗野、危険、神秘、あるいは暗さ、深淵、孤独といったイメージを喚起
する」(エドマンド・バークの1757年の著作。新畑・同89~90頁)。

 

風景画が、歴史画などの背景から独立した地位を確立するに際し、「ピク
チャレスク」や「サブライム」といった理念が重要な役割を担っていた。
これらの理念が有する「左右非対称、意外、不規則」や、「壮大、粗野、
危険、神秘、あるいは暗さ、深淵、孤独」という性格は、廃墟において結
実する。
従って、Ⅰ章(絵になる廃墟)・Ⅱ章(奇想の遺跡、廃墟)で紹介される
絵画は風景画の王道的表現と言える(とりわけ、Ⅱ章の崇高な美の実現の
ため誇張され、廃墟が現実よりも廃墟化するとの指摘が興味深い)。だか
らこそ工部美術学校に招聘されたフォンタネージが携えた手本画に廃墟が
含まれることにもなる(生徒の習作も含め、Ⅲ章で紹介。)。
他方、第一次世界大戦の衝撃から合理主義に疑義を呈した美術運動が「意
外」・「危険」・「神秘」を含意する廃墟を取り込んだのも頷ける(Ⅳ章
)。そして、「廃墟」のイメージが持つ批判的性格が日本の作家たちにも
受け継がれ(北脇昇《章表》など)、現在(元田久治《Indication:
Shibuya Center Town》や野又稔《波の花》など)に到るのだ(Ⅴ章・Ⅵ章
)。

 

廃墟を扱った写真群もあるので、タイトルには「美術」よりも「絵画」を
採用した方がふさわしかった。