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芸術鑑賞の備忘録

映画『家へ帰ろう』

映画『家へ帰ろう』を鑑賞しての備忘録

2017年のスペイン・アルゼンチン映画。原題は"El último traje"。

監督・脚本は、Pablo Solarz。

 

ブエノスアイレスで仕立屋を営んでいたアブラハム(Miguel Ángel Solá)は、自宅を売却して高齢者施設へ入居することになった。出発の前日、子や孫との別れの挨拶を済ませると、深夜に身支度を整えて密かに自宅を抜け出す。自分を受け容れず施設へ入居させたのみならず、名前まで付けて長年苦楽をともにしてきた不自由な右足を切断するよう提案されたことに憤慨したのだ。最後に自分の望みをかなえることを決意したアブラハムは、生まれ故郷であるポーランドのウッチへと旅立つ。父は仕立屋を営んでいたが、ナチス占領後に一族ともにゲットーへ送られ、その後アブラハム一人だけが辛うじて「死の行進」を逃れたのだ。必死の思いで辿り着いた自宅は父の右腕であった仕立職人のものになっていたが、その息子で幼馴染みのピオトレックが父親の制止を振り切ってアブラハムを介抱してくれた。そして、旅費を工面し、アルゼンチンに住む叔母の手紙とスーツの型紙とを手渡してくれたピオトレックに再会の約束をしながら、今日に到るまで音信不通だった。
出発を急いだことから、一旦マドリードまで飛んだ後、鉄道でポーランドを目指すことになった。入国審査で入国目的を言わないことで早速、一悶着が起きるが何とかやり過ごす。マドリードで列車を待つ間、女主人ゴンサレス(Ángela Molina)の営むオスタル・マドリーで休息をとることにするが、トラブルに巻き込まれ、足止めを喰らうことになる。

 

アブラハムは「ポーランド(Polonia)」という言葉を発することもできないほど、故国には忌まわしい記憶がまとわりついていある。だからこそ70年以上も、親友と連絡をとることもかなわなかったのだ。
人生の酸いも甘いも噛み分けたゴンサレスと交流を通じても自分の過去については語ることができなかった。だが、パリの駅に居合わせたドイツ人の文化人類学イングリッド(Julia Beerhold)が救いの手を差し伸べ続けてくれたことで少しずつアブラハムの心が氷解していく。そして、ワルシャワでは看護師のゴーシャ(Olga Boladz)と出会うことで何とか旅の目的の達成に向かうことができる。

イングリッドとのやり取りが一つの山場。回想ではとりわけ物語を紡ぐ妹のエピソードが心に迫る。その他にも、ゴンサレスとの洒脱な会話、長く絶縁していた娘とのやりとり(と娘の腕の数字)も印象に残る。

 

不自由な右足はホロコーストを生き抜いたアブラハム自身であり、それを切断することはアブラハムを殺すことである。そして、それが生き続けることは希望である。

(冒頭シーンを中心に何度か右足の名を呼ぶのだが、アブラハムが何と名付けていたかを忘れてしまった。何か意味のある名称なのだろうか。)

 

壮絶な体験は、体験した者の他には誰も理解できない。だが理解の困難さをして他者の共感すらも拒むなら、その経験はその者の存在が失われることで、永遠に消え去ることになる。それこそ悲しむべきことではないか。
あるいは、体験しなかった他者が共感することに喜びを見出すことはできないだろうか。
今年(2018年)、ヤノベケンジの《サン・チャイルド》が撤去されたことを思った。