可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

本 碧海寿広『仏像と日本人』

本 碧海寿広『仏像と日本人 宗教と美の近現代』(中公新書 2499)中央公論社〔2018年〕

序章 仏像巡りの基層
第1章 日本美術史の構築と仏教 明治期
第2章 教養と古寺巡礼 大正期
第3章 戦時下の宗教復興 昭和戦前期
第4章 仏像写真の時代 昭和戦後期①
第5章 観光と宗教の交錯 昭和戦後期②
終章 仏像巡りの現在

現在見られる、仏像に対する人々の姿勢がどのように形成されてきたのかを歴史の中に探る。
近代化に際して「美術」概念が導入されると、仏像は彫刻として美術史に位置づけられ、博物館へ収蔵・展示されるようになった。すると、仏像鑑賞が知識人の素養となり、そのためのガイドとして和辻哲郎の『古寺巡礼』が普及する。また、仏像を撮影した写真の普及は、仏像の世俗化を推し進めた。戦後の教育や観光の大衆化は古美術観光を拡大し、仏像は活用すべき観光資源としての性格を強めた。
現在では、博物館における仏像鑑賞が主流となっている。また、仏像鑑賞ブームの火付け役としていとうせいこうみうらじゅんの『見仏記』があるが、いとうには『古寺巡礼』の影響を、みうらのバックグラウンドには仏像写真がある。


序章では近代以前、とりわけ江戸時代における寺院と人々の関係を概観する。
最初期の日本の寺院は古墳に代わる地域権力の象徴であり、そこでは(仏塔より)仏像が重んじられていた。中世に入ると仏教の大衆化により幅広い階層の人々が参拝するようになる。中世末には先祖供養のため菩提寺が多数建立されたため、江戸幕府は住民支配の管理統制に寺院を利用した(寺請制度)。他方、宗教統制により維持や改修の費用を捻出する必要に迫られた寺院の中には開帳を積極的に行うものがあった。

第1章では仏像が美術品として再発見された明治期を追う。
近代化の過程で、古器旧物が逸失していく一方、仏像は欧米由来の「歴史」や「美術」の観点から見直され、保護の対象になった。日本に「美術」概念を導入した立役者であるフェノロサ岡倉天心により宝物調査が行われ、仏像が日本美術史に位置づけられていく。その過程で作家性を備えた仏像写真が(おそrかうフェノロサや岡倉の指導の下)小川一真によって撮影され、仏像のイメージが内外に普及していった。美術品として価値を有する仏像は国からの保護を受けられる一方、博物館に貸し出し展示され
ることになった。

博物館では今日でも仏教関係の展覧会が頻繁に開催されている。江戸時代以来の出開帳的性格を草創期の博物館が担っていて、それ以来の伝統であることが分かる。仏像の世俗化に抗して、寺院が宝物館を設置したり美術書を発行したりして、仏像を教化に役立てようという動きがあったという

第2章は、1919年に刊行された和辻哲郎の『古寺巡礼』が、教養として仏像鑑賞を行う人々のバイブルとなったことを中心に、大正期の仏像をめぐる動向を紹介している。
和辻哲郎の『古寺巡礼』には仏像に対する官能的なアプローチがしばしば見られるという指摘が興味深い。

第3章では、戦時下の危機に瀕した人々が仏教に救いを求め、仏像の宗教的性格が復興したことを、亀井勝一郎高村光太郎を引き合いに紹介する。

第4章は、仏像写真の大家である土門拳入江泰吉の紹介を通じて、仏像写真が寺院から仏像を切り離して美術品として自立させることになった一方で、生命観を吹き込まれた写真が礼拝対象としての価値を有していたと論じる。

第5章では、戦後における観光の大衆化の中で、仏像が観光資源としての性格を強めていくことで生じた問題を扱う。

敗戦後、皇居や伊勢神宮が回避された結果、修学旅行先に京都・奈良が浮上し、古美術観光が定番化していったという。
白洲正子の古寺巡礼において巡礼の本質が歩くことにあるとの指摘を、レベッカ・ソルニットの『ウォークス』とともに紹介している。
観光と宗教とをめぐる古都税問題も非常に興味深い。

終章では、現在の仏像ブームの火付け役の一つと考えられる『見仏記』の分析を中心に、東浩紀の『観光客の哲学』を援用して観光が宗教と美術とをつなぐ可能性を論じる。

『見仏記』は「マイ・ブーム」としての仏像鑑賞という点で、私的体験の世界への発信であり、SNSの時代の仏像鑑賞スタイルの先触れであったと言える。