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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『吉村芳生 超絶技巧を超えて』

展覧会『吉村芳生 超絶技巧を超えて』を鑑賞しての備忘録
東京ステーションギャラリーにて、2018年11月23日~2019年1月20日

 

吉村芳生(1950~2013年)の絵画展。

 

3階展示室の「ありふれた風景」、2階展示室の「百花繚乱」と「自画像の森」との3つのセクションで構成。

 

3階展示室の「ありふれた風景」では、道路、駐車場、河原などを描いた絵画や版画(リトグラフシルクスクリーン)が紹介される。風景を見て描く「模写」ではなく、1度写真にしてから絵に仕立て直すのが吉村独自の制作手法。写真の画面を方眼に分割し、微細な個々の方形ごとの明暗を白黒の濃淡に置き換えることで絵画や版画を制作している。

吉村は「機械文明が人間から奪ってしまった感覚を自らの手に取り戻す作業」であるというが、手にした手法が徹底して機械的であり、結果、意図してのことだろうが、作者(人間)の機械化を招来している点が皮肉な逆説である。吉村の描く何気ない風景に不穏な印象を受けるのは、1つには、アンディ・ウォーホルの自動車事故などを描いたシルクスクリーン作品を想起させることが挙げられる(床に転がった蠅を描いた《Fly》はその典型例である)。もう1つには、離れたときに得られていたモチーフが近づくことで見えづらくなっていく、近づくほどに理解を拒む(これもまた一種の逆説を孕んでいる)作品だからだろう。

 

2階展示室の「百花繚乱」では、モノクロームの世界だった「ありふれた風景」から一転、色鮮やかな花々が咲き乱れる作品群。モノクロームによる制作に行き詰まっていた吉村が、拠点とした徳地町(現在は山口市)の休耕田に咲いた花を見て、その美しさと色彩とに開眼し、色鉛筆による花々を描くことを思い立ったという。《ケシ》では緑の中に芥子の赤い花が鮮やかに浮き立ち、《無数の輝く生命に捧ぐ》(2011~2013年)では藤の花と枝葉のみが白い背景に描き込まれる。絶筆となった制作途中の《コスモス》も展示されている。

展示室の手前に前室のような空間がある。そこに《ケシ》が3点並んでいる 。狭い空間のために最初は近くで見ることになるが、離れて眺めるとケシの花の赤さが緑との対比もあろうが極めて鮮烈になる。色鉛筆の印象は消え去ってしまう。
《無数の輝く生命に捧ぐ》については作品の下絵代わりの写真も紹介されている。藤の花を複数重ね合わせていくことで横7メートルの画面を生み出したことが分かる。無地の画面にモチーフの植物だけを描き、型紙ないし写真の利用で同じ図を繰り返すところは、光琳の《燕子花図屏風》に連なる。

《未知なる世界からの視点》は二保川の菜の花を描いた作品。岸辺に咲く花を画面下部に、水面に映り揺れ動く花を画面上部に、天地を反転させている。

 

最後の「自画像の森」では、旅先での自画像と、代表作と言える《新聞と自画像》のシリーズを展示している。

《新聞と自画像》は、新聞紙に自画像を描き込んだかのように見えるが、新聞の模写に自画像を描き込んだものである。記事・広告により描き込まれる表情が異なり、自画像が寸評になっている。

 

本展の冒頭に、吉村が初個展に際し制作した《ドローイング 金網》(1977年)が展示されている。ケント紙に金網を重ねてプレス機にかけ、紙に写った網の痕跡を鉛筆でなぞったものが画廊の壁面に合わせ17メートルにわたり描かれている。支柱のようなものはなく、ただ金網のつくる亀甲ともベンゼン環ともとれる六角形が繰り返し現われる。繰り返しと連鎖とは生命を連想させるが、それが金網という工業製品から成っていた。それが《無数の輝く生命に捧ぐ》(2011~2013年)では、下絵となる写真に存在していたフェンスが消去され、紫色の藤の花が繰り返し描かれる。あたかも「機械文明が人間から奪ってしまった感覚」を「自らの手に取り戻」したかのようである。その遂行とともに作者は亡くなってしまった。