展覧会『中井章人 透明ノイズ』を鑑賞しての備忘録
GALLERY MoMo Ryogokuにて、2019年1月12日~2月9日。
中井章人の絵画展。
主に2018~2019年に制作された油彩画14点を展示(例外は《鏡面的パラミリア》(2016)))。その中でも直近に制作された作品は、黒で塗装された木製の額縁の中に、青でまとめられた油彩画が固定されている。額縁がキャンバスに直接覆わないよう、キャンパスの青く塗装した周囲が見えるように拵えられている。絵画自体を標本やオブジェのように、あるいは水の中に漂わせるかのような印象を作っている。
メインヴィジュアルに採用されている《星を読む人》(2018)には、丸い鏡の上に寝そべり、あたかも背もたれのある椅子に寄りかかるように上半身を持ち上げて、夜空を見上げるような姿勢をとる人形ないしアンドロイドの姿がある。体の周囲を植物が取り巻き、膝に置かれた手の当たりには花が置かれている。とりわけ、2本の茎から伸びた二輪の花が白く輝き、その花をに照らし出された星らしき白い輝きが落下するように描き込まれている。視線はその花の周囲に集まるようになっているが、そこから視線を右の方にずらしていくと、膨らんだ胸があり、さらに首があるが、画面の端の位置には頭部はない。
また、《記憶するものされるもの》(2018)では、《星を読む人》で描かれるような、アンドロイドが2体向き合っている。首の上には頭が乗っていないのだが、2体とも頭を手に提げ持ち、お互いの頭を付き合わせるように支えている。
標本を眺める科学者の位置に立つことで、人間の存在を俯瞰する視線を手にしているかのように感じられる。そして、頭部が存在しなかったり、頭部が手で持たれている姿は、スマートフォンに依存している人間を揶揄しているかのようだ。見ること、記憶すること、そして考えることさえも、人は機械に委ねてしまっていると。
もっとも、《星を読む人》に描かれる花に着目すれば、そこまでシニカルな視線を表すものではないとも思える。手を通じて物事を捉える、画家の矜恃をこそ伝えるものかもしれない。