展覧会『Kanzan Curatorial Exchange「尺度の詩学」vol.3 黒田大祐「ハイパーゴースト・スカルプチャー」』を鑑賞しての備忘録
Kanzan Galleryにて、2019年1月18日~2月17日。
黒田大祐による「彫刻」をテーマにした作品展。
黒田大祐が、2017年に仁川で見かけたマッカーサーの銅像は、金景承という彫刻家の作品であった。金景承は東京美術学校で建畠大夢の指導を受けていたという。黒田が高校時代に校内で目にして影響を受けた彫刻は建畠の手によるものであった。調べると、建畠は黒田の母校の卒業生であり、黒田自身も建畠の弟子筋の作家の指導を受けていた。また、国会議事堂内にある伊藤博文像は建畠の作品であり、建畠の教え子の1人である文錫五は、北朝鮮で金日成像やスターリン像を制作したことも明らかになる。権力者の像をつくることを至上とする「彫刻」のシステムが、戦前の日本から近隣諸国へと伝播していたのである。それでは、今、彫刻に携わる人々は、「彫刻」のシステムとどのように関わり、向き合っているのか。黒田は、自らが抱える問いを、日本、中国、韓国、台湾でsculpture(=彫刻)に携わる人々に投げかけた。本展では、そのリサーチの成果を昇華して制作した作品が展示されている。
冒頭では、「彫刻って何ですか?」と作家が街中に存在する銅像に尋ねて回る映像《彫刻に聞く》が流されている。どんなに真摯な問いかけだとしても、どうしても間の抜けた印象を観る者に与える構図である。銅像からの反応は無論、一切無い。作家は彫刻とは何かという問いに自ら答えを見つけなければならない。だが、鑑賞者にとっても、生活圏内に当たり前に存在していながら、なぜそこに存在するのか分からない、見過ごしている銅像の存在について思いを致すことになるだろう。
《カルマ》や《道》と題された作品では、作者は鳥に彫刻家の姿を重ねている。実や肉を啄む姿に素材を彫刻する姿が重なるのだろうか。鳩を撮影して、彫刻専攻の学生や教授のキャプションを鳩に付けてしまう批評性とおかしみとの綯い交ぜがここにも見られる。そして、表題作《ハイパーゴースト・スカルプチャー》では、暗闇の中、2羽の鳥(の絵を貼り付けた黒田の手)が、粘土で権力者の像を作っていく様子が映し出される。この映像には、鶏肉で像をつくり、串を刺して焼いていく映像が組み合わされている。ロダンの《地獄の門》を用いた映像作品と相俟って、彫刻という苦難の道を歩む彫刻家たちが、煉獄の焔によって浄化されるという祈りが諧謔味たっぷりに描かれている(ご丁寧に《ケルベロスの焼台》と題して、撮影で焼き鳥をつくるために使用したカセットコンロまで展示されている)。
黒田は彫刻家・橋本平八についての研究成果をまとめた書の掉尾を次のように飾っている。
現代においては平八が生きた時代よりも尚彫刻の領域は拡がっているものと思われる。多様化を極め拡大を続ける一方で、胡散霧消しつつある現代彫刻において、これまでにない新しい彫刻を造り出す事は非常に困難に思われる。最後に、これに応えるような平八の言葉で締めくくりたい。
「彫刻の種類。地水火風空草木花鳥獣人物魚貝幻覺等人界神界等無際限。」
彫刻とは意外なまでに多様なのである。
(黒田大祐『「不在の彫刻史」付録』2017年p.52)
本展は、間違いなく「彫刻」の姿を浮き彫りにした一つの彫刻作品である。