可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 ソフィ・カル個展『Parce que』

展覧会『Sophie Calle Parce que』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー小柳にて、2019年2月2日~3月5日。

ソフィ・カルによる文章と写真とを組み合わせた作品の展示。

壁に掛けられた木枠にはそれぞれ文章が刺繍された布が垂らされている。その布を捲るとことで、中に置かれた写真を見ることができるようになっている。

例えば、《David》と題された作品の布には、

David est mort.
Parce que je n'ai pas de mots pour décrire son univers

とある。「Dacvidは死んだ。なぜなら、私は彼の世界を叙述するための言葉を持たないから」。なぜ「私」が言葉を持たないことでDacidが死ぬことになるのかと言う疑問がまず思い浮かぶ。そして、布を持ち上げると、花柄のカーテン、花の絵などが掛けられた部屋に、やはり花柄の大きなソファが画面手前に置かれていて、その上には動物のぬいぐるみがあるだけ。
花のイメージに埋め尽くされた賑やかな室内は、ぬいぐるみの存在と相俟って、子供のための空間を思わせる。すると、そもそもDavidは幼く、言葉を持つ以前に亡くなったのかもしれない。彼の言葉が描く世界を知ることができなかったということ。あるいは、Davidの喪失が大きすぎて、「私」はそのことについて言葉にすることはできない、ということかもしれない。
一色の布に綴られた簡潔な文章は、様々な想像を呼び起こす。そして、その想像を後から現われる写真のイメージが限定していき、同時に写真の解釈をテキストが制限する。ただ、写真のイメージも広がりを持つため、テキストの解釈を改めていくことにもなる。
文章と写真とが同時に示されないことで、いったんは文章だけから想像を広げていくことになる。そして、布を捲るという隠されたイメージを暴いていくこととが、文章を読む行為への訴求力を高めている。

《Le jour des noces》では、

Parce qu'on m'apprend qu'elle est morte le jour de ses noces

と記された布の下に、墓地にある花嫁の石像の写真が、《Pourquoi elle?》では、

Parce que "Pourquoi elle?"

という文があり、立ち並ぶ石仏(水子地蔵?)の中に1つだけ赤いよだれかけをしたものがあるイメージが現われる。死が、死そのものではないとしても、作品の基調、少なくとも重要なテーマになっている。