可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『六本木クロッシング2019展:つないでみる』

展覧会『六本木クロッシング2019展:つないでみる』を鑑賞しての備忘録
森美術館にて、2019年2月9日~5月26日。

日本の現代アートの現況を3年に1度のペースで紹介する森美術館のシリーズ企画の6回目。「つながり」をテーマに、主に1970~80年代生まれのアーティスト25組を取り上げている。

 

会場の入口にのぞくのは、とぼけた顔をしたピンクの巨大な猫のキャラクター、飯川雄大の《デコレータークラブ―ピンクの猫の小林さん―》。カメラで全てをとらえられないように設置することで、写真が現実の一部しか切り取れないことを訴える作品だという。デコレータークラブ(decorator crab)は、周囲にあるものを貼り付けてカモフラージュする蟹のことらしいが、この作品はショッキングピンクで一際目立ち、特に擬態するような装飾もないため、謎を呼ぶタイトルだ。

佃弘樹はドローイングや写真、インターネットで収集したイメージを組み合わせてイメージを再構成した、《Ouroboros》、《The Record 02》を展示している。流木や岩などを床や台に並べた無題のインスタレーションと相俟って、今日的なヴンダーカンマーを呈示しているかのよう。

複雑系・人工生命学の池上高志研究室とロボット工学の石黒浩研究室が制作した機械人間オルタを、映像作家ジュスティーヌ・エマールが撮影した映像作品《ソウル・シフト》。オルタは顔と手のみ皮膚などが備わっっているロボット。機械部品の動作が丸見えで、ぎこちない動きをし、イルカの鳴き声のような音声を発する。だが、子供のような黒目勝ちな目を持ち、顔の筋肉がつくる表情を持ってもいる。2体のオルタからは哀愁が漂う。

一貫して「破壊と再生」と「修復」をテーマに制作をしてきたという青野文昭は、放置された自動車を家具や衣服、本や雑誌、空き缶、樹木などと組み合わせ、家具が徐々に変化して自動車や人物や植物へと変身するかのような、あるいは家具の中に自動車や人が埋まっているのを作家が彫り出すような、不思議な魅力を湛えた作品(《なおす・代用・合体・連置―ベンツの復元から―東京/宮城(奥松島・里浜貝塚の傍らに埋まる車より)2018》)を出展。《なおす・復元―沖縄の村はずれで破棄された車の復元―『GUN』2018》とともに赤い三角コーンが備わっている。赤い三角コーンに込められた作家の思いも気になる。

林千歩は、アンドロイドとの恋を描いた映像作品を中心とするインスタレーション《人工的な恋人と本当の愛-Artificial Lover & True Love-》を展示。ヒロインが轆轤で器を制作していると、アンドロイドが後ろから覆い被さるようにして、ヒロインとともに粘土に手を入れる。「変化」する粘土は男性器のメタファーだろう。映像作品の手前にはアンドロイドの座るデスクが置かれ、その上のモニターでは、ヒロインを窃視するような映像が流れている。周囲に設置された家具や壁には女性下着が飾られる。性的モチーフの氾濫は、アンドロイドや生殖技術が実現する「無性生殖」世界へのアンチテーゼと解される。両サイドの壁に設置された鏡にはどのような意味があるのだろうか。

アーティストユニット「目」は、《景体》と題した、大規模な海のインスタレーション。岸壁に打ち寄せ砕ける波ではなく、海原から切り出したような波を呈示する。どんよりした昏い水は不穏さとともに何かが生まれる予兆を感じさせる、パンドラの筺のようでもある。

今津景の絵画《ロングタームメモリー》はインターネットで手に入れたイメージなどをもとに、生命の誕生や進化、あるいは再生などをテーマにした大画面の作品。情報の神殿のようなものがあるとして、そこに安置される壁画を思わせる。インターネットからイメージを収集する点で佃弘樹の作品に、再生というテーマで榎本耕一の《雨の中の善悪両方神》に共鳴する。また、絵画を壁面から浮かせ、絵画の背景を青く塗り、LEDその他の装飾品を設置する見せ方は、杉戸洋の作品に通じるものがある。

田村友一郎のインスタレーション《MJ》は、50年前のニール・アームストロングの月面着陸(1969年)と、マイケル・ジャクソンムーンウォーク(1983年)とを組み合わせた文明批判の試み。富豪が金に飽かせたところで月旅行ができるかできないかという現状は、「人類にとっては偉大な飛躍」から、(ムーンウォークのように)進んでいるようで後退していると、「γνῶθι σεαυτόν(Know thyself/汝自身を知れ)」との言葉を突きつける。

川久保ジョイは、ギャラリーの壁面に山岳のような絵画を描いている。《アステリオンの迷宮―アステリオンは電気雄牛の夢をみるか?》と題されたこの作品は、人工知能アステリオンによるNASDAQ至上の20年予測を、ギャラリーの壁面を削って塗り重ねられた塗料を曝け出させることで表したもの。少数者による富の独占や世界的な格差の拡大を暴く意図で制作されたものだという。また、グローバル資本主義について、ギリシャ神話のミノタウロス(アステリオス)を足がかりに、ヨーロッパの歴史や自らのルーツなどを交えて解き明かす映像作品《アステリオンのオデッセイ》を上映している。スペインにおけるキリスト教(政治)、イスラーム(学問)、ユダヤ教(金融)の棲み分けや、バイロン卿が私財を擲ってギリシャ独立の英雄になったことでヨーロッパがギリシャの後継者を主張できたことなど、興味深いエピソードが並ぶ。

佐藤雅晴の映像作品《Calling(ドイツ編、日本編)》では、電話の着信音が鳴り、そして鳴り止む場面が次から次へと映し出される。いずれも誰かしらが居合わせていても良さそうな場面に、誰一人存在しない場面であり、そこに何か不穏な空気が漂う。

万代洋輔の「蓋の穴」シリーズは、不法投棄された物を使って制作した彫刻を撮影した写真作品。身代わりとなる人形(ひとがた)、あるいは神の依り代をイメージさせるような彫刻が、人気のない自然の中に鎮座する。

杉戸洋インスタレーション《トリプル・デッカー》。巨大な絵画らしきものが壁面に並んでいる。「絵画らしきもの」とは、一般にイメージされる、キャンバスに絵が描かれているのとは異なって、額縁に当たる部分に布きれが貼られていたり、いくつかの大きな布が画面に張り合わされたりしているからだ。「とんぼ と のりしろ」と題された東京都美術館での個展(2017年)では、作品そのものというより、その見せ方に痺れた。そのため期待が大きかったが、今回は規模が大きかったせいもあってか、とらえきれなかった。

 

「つないでみる」というテーマを掲げているだけあって、多様な作品が並んでいても、まとまりのある印象を受ける企画であった。そして、そのまとまりを生み出しているのは「不在」であるように思われた。作家たちが何らかの不在をとらえ、それを作品へと形象化していると思えたのである。過去に存在したもの(歴史)への眼差し、今、等閑に付されているもの(弱者、不都合な事実、非科学的な存在)への眼差し、将来には存在しなくなってしまっているもの(人間)への眼差しである。