可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『木下直之全集 近くても遠い場所へ』

展覧会『木下直之全集 近くても遠い場所へ』を鑑賞しての備忘録
ギャラリーエークワッドにて、2018年12月7日~2019年2月28日。

木下直之の研究成果を総覧する企画。「つくりものの世界」、「作品の登場」、「ヌードとはだか」、「都市とモニュメント」、「戦争の記憶」の5つのテーマの展示を中心に、その他の関心テーマやノートや著書などを紹介するコーナーで構成。

「つくりものの世界」で紹介される「つくりもの」とは、日用品を組み合わせて別の何物かをつくり出す、見立てによる遊びのことである。同種の材料を変形させずに用いる「一式(飾り)」が鉄則という。つくりものは江戸時代に見世物として、寺社の開帳の際に興行され、干物細工、貝細工、籠細工などが人気を博した。その延長上に現われた生人形(活人形)は、本物の人間に見紛うリアリティを誇った。生人形の女性像について撤去が命じられたことがあったそうだが(1856年)、着物の下のリアリティが咎められたからだという。「ヌードとはだか」をめぐる問題は、明治には黒田清輝の作品をめぐる裸体画論争が、近年でもろくでなし子の女性器をモティーフにした作品をめぐる裁判として、変奏しながらも今日まで断続的に取り上げられている。街頭の彫刻にヌードが見られる理由としては、軍服を脱いで武装解除という、戦争から平和への転換を象徴するためとも考えられるという。宇品港の凱旋塔が平和塔へと名を改め、三宅坂寺内正毅像が台座はそのままに三美神像へと置き換わったように、平和への転換については「戦争の記憶」の継承のあり方についても考えられるべきである。歴史の継承という点では、「都市とモニュメント」としての城、とりわけ天守閣が問題となる。名古屋城天守閣の木造復元に際して金鯱の復元をどうするか(何時を基準に復元するか)は今まさに問題になっている。

このように木下が取り上げてきたテーマには相互に関連性がある。しかもその多くは等閑視されてきた事柄であり、木下が取り上げなければ日の目を見なかったであろう。木下により一見ユルくパッケージされながら、美術品や美術館の公共性をめぐる問題(群馬県立近代美術館作品における白川昌生作品の撤去、福島市におけるヤノベケンジ《サン・チャイルド》の撤去など)、芸術作品の芸術性(愛知県美術館における鷹野隆大作品への措置など)、記憶(とりわけ負の歴史)の継承(大槌町旧庁舎などの災害遺構の保存問題や、広くダークツーリズムの可能性など)、歴史の復元(日本橋をめぐる首都高の移設や、前述の名古屋城天守閣復元など)、といったいずれも極めてアクチュアルな問題に連なるテーマである。