可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『石川直樹 この星の光の地図を写す』

展覧会『石川直樹 この星の光の地図を写す』を鑑賞しての備忘録
東京オペラシティ アートギャラリーにて、2019年1月12日~3月24日。

写真家・石川直樹の回顧展。

白い明るい空間で始まる。20歳でデナリ(マッキンリー。アラスカ山脈最高峰)登山隊に参加して登頂に成功した「DENALI」(1998)、北磁極から南極点まで人力で縦断するプロジェクトに参加した「POLE TO POLE」(2000)、10年間にわたる北極圏の旅の記録「POLAR」(2007)、2000年以来10年ぶりに再訪した南極大陸を撮影した「ANTARCICA」(2011)が紹介される。
イルリサット(グリーンランド)の墓地。白い十字架の列は雪景色に溶け込んでいる。雪が融けたら大地とのコントラストで引き立つだろうか。

わたしたちが慣れ親しんだ世界地図は、地球を横から水平にとらえているために長方形になっているが、北極点を中心にして地球を真上から垂直にとらえると、環としての世界が見えてくる。方位としての北方へ目を向けながら、国家を超えた場所と場所の多重な集合体としての北極圏をその先に意識したとき、複雑に絡み合った地球上の線はゆっくりと滲み出す。

 

網野善彦が『「日本」とは何か』で、極東地域の地図を転倒させ、日本列島が太平洋への航路を塞ぐように位置していることを示して見せたように、視点を変えるだけでものの見え方は変わってくる。例えば、沖縄を中心にして同心円を描いていくと、東京に達するはるか前に、国境を越え、大きな都市が含まれてくる。

カーテンを抜けると、ベンガラ色に近い赤で塗られた壁面の暗い空間となる。正面には大画面でパタゴニアの洞窟にあるネガティヴ・ハンドを撮影した写真が掲げられている。太古のものとは思えない生々しい手の跡が壁面にびっしりとつけられている。その他、『NEW DIMENSION』(2007)から、ノルウェーやオーストラリアなどで撮影された、壁画とその周辺の景色とがあわせて紹介されている。

続いては、群青色の壁が囲む空間。スター・ナビゲーションを学び、ポリネシアを旅したときの記録である「CORONA」(2010)と、カヌーの原材料を求めて訪れたマオリの聖地である原生林の光景を映像化した《THE VOID》(編集:岩﨑宏俊、音声:山川冬樹)を紹介。

ヨーロッパの三倍もの面積があるこの「ポリネシア・トライアングル」に、同種の言語をもつ海洋民による共通の文化圏が拡がっていることは、実は驚異的なことである。およそ八千を超える大小の島々が浮かぶこの三角圏を、作家のル・クレジオは「見えない大陸」と呼んだ。それは無数の境界線を抱えて不安定に揺れる大陸ではなく、海によって柔らかに繋がる分かちがたい多島海のことを指している。小さな島々が、強大な大陸に勝る有機的なネットワークをもちうることを、ポリネシア人たちは自ら証明していると言えるだろう。

続いて、ライトグレーの壁面に飾られるのは、登る山としての富士山をとらえようと撮影し始めたという「Mt.Fuji」(2008)。冨嶽三十六景、中でも《諸人登山》や《凱風快晴》を彷彿とさせる作品群。

再び、白い明るい空間となり、K2登攀の試みを紹介する「K2」(2015)。写真の他、テントの中で映像作品の上映も行っている。

展示室外の通路を用いて、仮面の祭祀儀礼を追う「MAREBITO」、日本列島の南北に連なる島々に取材した「ARCHIPELAGO」などが紹介されるとともに、最後に「石川直樹の部屋」と題して冒険の装備や、愛読書などが紹介される小屋と、写真集を閲覧できるコーナーとが設置されている。

メディアを通して聞こえてくる声は、他の多くの声のほんの一部でしかない。土の上からかすかに聞こえる隣人の息吹をどれだけ感じられるか。今ここを意識しつつ、ここではない場所や自分と異なる人々について、少しのあいだ思いを巡らせてみることはそんなに難しいことではない。もしかしたら、本当の辺境は自分の内にあるのかもしれないとも思う。

素晴らしいと思う。だが、苛酷な冒険の先にとらえられた世界(写真)があまりにも美しく、紡がれる言葉が真っ当すぎる。汗でも血でも埃でも、何か穢れているところが感じられないのが、今ひとつ馴染めない理由かも知れない。