可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『雨ニモマケズ(singing in the rain)』

展覧会『雨ニモマケズ(singing in the rain)』を鑑賞しての備忘録

BankART Station及びR16スタジオにて、2019年3月1日~24日。

BankART1929の新たな拠点BankART Station(みなとみらい線新高島駅)と東急東横線廃線跡の高架下にあるR16スタジオの2会場で行われるグループ展。

小田原のどか《↓(2019)》について(両会場に展示)。
赤いネオン管(?)でできた矢羽のような作品。これは、1946~1948年に長崎市の爆心地点に設置された「原子爆弾中心地」と記された標柱を模したもの。なぜグーグル・マップのマーカーのようなものが爆心地に設置されたのか。戦後、政教分離の観点から、国や地方公共団体による宗教的行事が禁止され、記念碑や銅像の建設も行わないことになった。そのために慰霊的要素を払拭した矢羽標柱が出現したらしい。作者はこれを「戦後日本の公共空間の彫刻の起点」ととらえている。なお、矢羽標柱は1948年に一体の公園整備に伴い木製の標柱へと建て替えられ、1956年には鉄筋と蛇紋石を素材とした三角形の碑へ、そして1968年に黒御影石に表面が修復されたものが現存する。変遷しながら三面を持つ形状は維持されているという。

2014年、長崎に修学旅行で訪れた横浜市在住の中学生が、被ばく証言者に対して「この死に損ない」と叫んだという報道があった。
この死に損ない。
この言葉は被ばく証言者とは別の戦争体験を持ち、戦争を生きのびた私の祖父母に対しても投げられたものであるように思われた。そしてその子孫である私自身に対しても。
この言葉に、私は立ち尽くすしかない。

暗がりの中で赤い光を放つ矢羽は、作者の肖像彫刻にも、作者に刺さった言葉にも見えてくる。爆心地を示す矢羽を横浜に建てなければならない理由。それは、長崎の記憶を横浜へと繋げるためだ。見る者に、その矢が刺さることを願う祈念碑である。


渡辺篤《七日間の死》について(映像作品は両会場に展示)。
映像作品《七日間の死》は、引きこもり生活の孤立と苦悩とをテーマに、作者がコンクリート製の空間に7日間にわたって閉じ込められて生活したパフォーマンスの記録。屋上に置かれたコンクリートの箱を2台の定点カメラから撮影した映像を早回しにしてある。マイクに強い風が当たるような音声が流れる中、月や星が弧を描き、雲がめまぐるしく姿を変える映像に、つい見とれてしまう。美しい映像の中心には、コンクリートの箱が佇んでいるが、その中で展開しているであろう作家の息詰まる苦闘は一切見せない。それがかえって想像を刺激する。
3月10日~16日にはR16スタジオのR9において、《七日間の死》を公開パフォーマンスとして実施予定。