可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『第20回写真「1_WALL」展』

展覧会『第20回写真「1_WALL」展』を鑑賞しての備忘録
ガーディアン・ガーデンにて、2019年3月19日~4月20日

王露は、緑(植物)をプリントした仮囲いや、フェンスに合わせて切断された樹木などを写真に収める。日常の中に不意に姿を表したそれら被写体は、都市の「誤作動」により生み出された景観であるとという。意思(主体)が生み出さない芸術(作品)という点では、赤瀬川原平らの「トマソン」に通じる。だが、王露には、トマソン考現学的視点は希薄で、言葉(概念)により現象を捉え、分類(理解)しようという意図はなさそうだ。また、自然と人工といったような二分法も有効ではなく、すべては都市という人工の環境から成るフラットな世界を前提としている。視覚で捉えた世界=画像データ(情報)上に見出したエラーを掬い取っているのだろう。

石川清以子の作品は、ビニールシートのようなものをつなぎとめるテープや、タマネギや容器が積み重なる様など、日常の中に奇跡的に現われたバランス(均衡)をとらえる。福原信三がラフカディオ・ハーンの旧居の入口を捉えた写真のように、写真の構図に対する意識は明確に存在する。だが、そこに物語(歴史)は存在しない。モノとモノとがつくるバランスのみを抽出するために、匿名性こそが求められるのだ。無数に存在する第三者のツイートの中から興味深いものをリツイートするような感覚の写真だ。