展覧会『狩野哲郎「測地とカモフラージュ、すべての部分が固有の形になる」』を鑑賞しての備忘録
ユカ・ツルノ・ギャラリーにて、2019年4月20日~5月25日。
ガラス板の上に、木や果物、器やゴムボールなどが置かれ、積み重ねられている立体作品、天井から吊るされたモビールの作品、パッケージやラベルを千切って貼り付けた平面作品などが並ぶ狩野哲郎の個展。
美術作品を制作するために用いられる材料であるか否かという判断を棚上げにして、ものの色や形を組み合わせることで平面や立体の作品を生み出している。カラスが木の枝と針金でできたハンガーとを素材に巣をつくるように、与えられた環境の中で有用なものを「見境無く」利用しようという姿勢・手法が表れている。ものに対する等価な眼差しは、血管が3Dプリンタで作成されるように、あらゆるものが情報(=データ)として複製・編集可能なものになっていく時代状況の映し鏡でもある。もっとも、ものを情報(=データ)として扱うとき、情報の持つ固着という性質は避けがたい。それでは情報の固着化にいかに抗うか。1つの方法としては、変化=時間を導入することだ。モビールはもとより、果実の作品への混入は、変化=時間に対する認識を促すためのしかけだろう。固着化を回避するもう1つの手法は、作品の意味を開くこと(=解釈可能性)だろう。「人間は他の動物よりも量的により多くの知識を持つとか、あるいは質的に別の相において事物を見る、という言い方は正確ではない。人間の場合にももとより感覚器官の構造と相対的に知覚世界の様相が規定されている。しかしそれは完結しているのではなくして、量的にも質的にもつねに無限定に開放されている。人間は世界に開かれている。」(山本信『形而上学の可能性』)。千切られたラベルとラベルの間に描かれた線は、鑑賞者に作品の解釈を誘う「補助線」である。解釈により情報は新陳代謝が可能になり、固着化を免れるのだ。
無名だけれどすてきな雰囲気をもう一度思い出すための方法、あるいはその瞬間を目にするための方法を探す。合理的な方法ではたどりつく事が困難なものごとのすてきさを目にするために「何かについてのスタディ」をつづける。予定された調和の少しだけ外側にすてきな瞬間はいつもある。(狩野哲郎)