可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『モダン・ウーマン フィンランド美術を彩った女性芸術家たち』

展覧会『日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念 モダン・ウーマン フィンランド美術を彩った女性芸術家たち』を鑑賞しての備忘録
国立西洋美術館(新館展示室)にて、2019年6月18日~9月23日。

1917年の独立前後のフィンランドを生き、同国の近代美術に革新をもたらした女性芸術家たち、マリア・ヴィーク(Maria Wiik)、ヘレン・シャルフベック(Helene Schjerfbeck)、エレン・テスレフ(Ellen Thesleff)、シーグリッド・ショーマン(Sigrid Schauman)、エルガ・セーセマン(Elga Sesemann)、シーグリッド・アフ・フォルセルス(Sigrid af Forselles)、ヒルダ・フルディーン(Hilda Flodin)の作品80点強を紹介する企画。

マリア・ヴィークの油彩作品《古びた部屋の片隅、静物》は、麦わら帽子を掛けた鏡の前にの容器とガラスを中心に描く。容器やガラスの置かれた台には白い布が敷かれ、壁には黒い布が掛かけられており、水平・白と垂直・黒との対比が示される。それは、容器とガラスとそれらが映り込む鏡面との比較を促す。そして、実像と鏡像とのずれを探ろうとして、鏡面(画面)の中に吸い込まれることになる。《別れ、石垣のための習作》では、画面手前、石垣の下に泣く子供が描かれ、石垣の上に手を差し伸べるようにも見える女性が描かれる。タイトルには「別れ」とあるが、子供が泣いているという以外に別離を表す事情はうかがえない。あるいは、鑑賞者の地位に母親がいて、石垣の上の女性が子供を母親から受け取る場面なのかもしれない。確かなのは、石垣という舞台装置を設けることで、女性が子供を世話しようとする動作を見上げる位置で描いているということだ。子守・子育て・子供に対するケアに対する讃仰をこそ描こうとしたのかもしれない。

ヘレン・シャルフベックの絵画《木こりⅠ》は、茶色い服を着た、白い肌と鮮やかな赤い唇を持つあどけなさを残す少年が、木材か鉈のような道具を右手に抱えている肖像画。瞳の青と青灰色の背景、唇の赤と服の明るい茶色が呼応し、キャンヴァスに油彩とクレヨンで描かれたざらついた画面が静謐さを湛えた統一感をもたらしている。作者は
この作品をマネの《オランピア》に匹敵する「宣言」であると述べたという。フェミニンな少年をもってモデルとし、「木こり」からイメージされる力強さや荒々しさを表面から排除しているからだろうか。《ロヴィーサからきた少女》は、顔がはりついた仮面のように表されていること、キャンヴァスの布目をデザインとして取り込んでいる点が印象的。布目の衣服表現への取り込みは《占い師(黄色いドレスの女性)》でも見られる。また、仮面としての顔は《コスチューム画Ⅰ》でも見られる。仮面的表現は、分人的発想からくるものか、あるいは化粧ののる顔を衣服やアクセサリー同様にとらえているからなのか。子を背面から見守る母親を描いた《母と子》に見られる顔は、仮面とは言わずとも、陽咸二やブランクーシの表現を想起させる。リトフラフ《絵本》(版画素描室に展示)では、母娘を2つの顔のみで表し、簡略化したカモメのような「折れ線」となった本とあわせ、よりエッセンスのみを抽出した表現の試みが見られる。

シーグリッド・アフ・フォルセルスによるブロンズ像《青春》は、作者とともにロダンの助手を務めたマドレーヌ・ジュヴレをモデルとした胸像。後ろに髪を結い上げた頭をやや右上へと向けさせることで躍動感を生んでいる。聡明さを感じさせる眼がつくる凜とした表情で前方を見据える姿は、ふくよかに表現された胸と相俟って、希望にあふ
れた印象を高めている。

エレン・テスレフの油彩画《装飾的風景》は中央に大きく樹木を配し、その幹や枝に緑色の絵具がまとわりつくように鮮やかな葉が表されている。背後に並ぶ木々も全体にねっとりとした感じで描かれているのが印象に残る。青とピンクが溶けあうような画面の《自画像》は、油彩というよりパステルで描かれたよう。

エルガ・セーセマンの油彩画《カフェにて》はピンク色の衣装の女性の肖像画で、仮面のように平板に塗り込まれた顔が強い印象を与える。女性が大きく見えるのは、画面に占める割合が大きいことだけでなく、赤い飲み物の入ったカクテルグラスが小さく描かれることによるようだ。《室内》は、ベッド、テーブル、窓のみの(おそらく)ホテ
ルの一室を表した作品。縦長の画面に壁・ベッド・テーブルがみっしり描き込み、とりわけ右手に押し込まれるように女性が直立して描かれている点が窮屈さを演出している。その窮屈さは、ベッドに当たる弱い黄色い光を、わずかだがかけがえのない希望に見せている。《通り》は電柱の立つ路地を一人歩く人物が描かれる。ルオーの《郊外の
キリスト》のような作品を想起させる。どこかへは続いていそうな道に救いがある。《花売り》は2棟の建物、灰色の道に、緑のパラソルを広げた花屋が佇むが、周囲には誰もいない。建物の間を通して奥に見える海(?)は希望か。