可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 塩田千春個展『魂がふるえる』


展覧会『塩田千春展:魂がふるえる』を鑑賞しての備忘録
森美術館にて、2019年6月20日~10月27日。

大がかりなインスタレーション《不確かな旅》、《静けさのなかで》、《集積:目的地を求めて》をはじめ、塩田千春の活動を網羅的に回顧する企画。

冒頭は、金色の腕が手の平に鍵を受けている立体作品《手の中に》。赤い糸を縫い込んだ絵画を壁面に並べた狭い通路を抜けると、赤い毛糸が張り巡らされた空間に出る。《不確かな旅》と題された巨大なインスタレーションは、黒い鉄で出来た大小形の異なる6艘の舟それぞれに赤い糸が搦み合うように張り巡らされ、壁面や他の舟との間にヴォールト状の形を生み出している。
続くのは「クロノロジー」と題されたコーナー。幼稚園児の際に描いたひまわりの絵から始まり、絵画の制作から《絵になること》を皮切りにパフォーマンスへと移行した大学時代、アブラモヴィッチなどの女性アーティストに影響を受けた留学時代、ドイツを拠点にして以降のベッド(《眠っている間に》)やドレス(《アフターザット》)を用いた活動がアーカイヴとして紹介される。
巨大な円柱を赤と黒の糸で巻いた《赤と黒》、様々なオブジェを赤い糸で結んだ《小さな記憶をつなげて》などを挟み、焼け残ったピアノや椅子と黒い糸とを組み合わせた大規模なインスタレーション《静けさのなかで》が展示されている。
鏡(《時空の反射》)や窓(《内と外》)を用いたインスタレーションが並び、その先には舞台美術のアーカイヴがある。
最後は、多数のスーツケースを赤いロープで吊るした《集積:目的地を求めて》を展示する空間。手前から奥に向かってロープの長さが徐々に短くなり、徐々に高い位置に浮かんでいく。そのまま冒頭の《不確かな旅》へとつながっていくようである。ドイツの小学生に魂について尋ねたインタヴューをまとめたヴィデオ作品が展覧会の掉尾を飾る。

 

すべて生命、生と死とをテーマにした作品だ。

幼稚園児の際に描いた《蝶がとまっっているひまわり》の筒状花(ひまわりの花の中央部)の赤茶色、大学時代に描いた最後の絵画《無題》に塗られた深紅、オーストラリア留学を経て行ったパフォーマンス《絵になること》での赤いアクリル塗料、《DNAからDNAへ》と題した大学で行ったパフォーマンスで試用した赤い糸と、赤色と赤い糸が、初期作品から血管を可視化した映像作品《ウォール》などを経て、《不確かな旅》などの現在の作品まで続いている。
へその緒、灰、糸を用いたインスタレーション《物質としての存在のありあり方》や、鶏卵の周りに牛の顎骨を並べた《私の死はまだ見たことがない》などは生と死との連環をテーマにしている。
荘子の「胡蝶の夢」を題材にした《眠っている間に》は、ベッドを糸で編み込んでいった作品。実際にベッドに人を横たわらせて、眠っている姿を現実と夢との狭間として表したという。糸で繭のようにくるむ仕種は、蛹の表象であり、新たな生への変移でもある。すると、燃やされたピアノや椅子を黒い糸でつなぎ合わせた《静けさのなかで》も、死(燃やされた物体)を繭のようにくるむことで、再生へと接続させるようだ。
《内と外》は木製の窓を壁のように並べた作品。これは生物を表すのだろう。生物が壁をつくることで内部と外部とを隔て周囲に広がる環境から自らを守りながら、外部との接続を保たなければ生命の維持を図ることができないことの表現と考えられる。

《土の中》という絵画では、地上(=見えているもの)と地下(=見えていないもの)とのつながりを示していた。作者は、見えないものを見えるようにした。ならば、鑑賞者は、作者のサジェスチョンに従い、作品の見えるものから、何が見えなくなっているのかを考えるべきだ。《集積:目的地を求めて》で赤いロープに吊るされたスーツケースは、モータによって、波間に漂うように揺れていた。波止場に立つと耳に入る、チャプチャプとした音が聞こえるようだ。見えていないものは水であった。冒頭の《不確かな旅》から舟が設置されていたではないか。会場を水が絶え間なく循環している。この展覧会は、塩田千春の枯山水すなわち宇宙であった。