可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『天気の子』

映画『天気の子』を鑑賞しての備忘録
2019年の日本のアニメーション映画。
監督・原作・脚本は新海誠

ある島に住む高校1年生・森嶋帆高(醍醐虎汰朗)は、東京で自活することを企てる。東京へ向かうフェリーに乗船した帆高は、猛烈な降雨が予測されることから甲板から立ち退くようアナウンスが流れると、帆高は、船内に戻る人の波をかき分けて、一人甲板に向かう。予測通り、バケツをひっくり返すような雨が甲板に落ちてくる。突然船が傾き、帆高は船外へ放り出されそうになるが、男(小栗旬)に手をつかまれ、辛うじて難を逃れた。「命の恩人」を自称するその男に食事やビールをたかられた帆高は、下船の際、東京で困ったことがあれば連絡するようにと名刺を渡される。そこには「A&Kプランニング 須賀圭介」とあった。新宿のネットカフェを拠点にアルバイト先を探す帆高だが、16歳の家出少年に仕事は見つけられなかった。ネットカフェの利用料を払うのも厳しくなった帆高は、雑居ビルの片隅で雨露をしのいでいたところ、男(木村良平)に蹴り出される。その際ゴミ箱から散乱した中に拳銃が入っている袋を見つける。3日間マクドナルドで凌いでいると、帆高の困窮を見かねた女性クルー(森七菜)からハンバーガーを渡される。東京に出て以来つらいことばかりだった帆高は、幸福を感じて味わうのだった。その後、偶然、その女性が手を引かれてホテルに連れこまれるのを目撃した帆高は、一飯の恩義に報いるためにも意を決して彼女を救うことにする。男は先日帆高を蹴り出した男で、意趣返しと勘違いした男は、帆高に馬乗りになって殴りつけた。帆高は拳銃を取り出し、発砲してしまう。男が発砲にあっけにとられている隙に、女性は穂高を引っぱって走り出すのだった。

 

雨が延々と降り続き、夏に雪が降る「異常」気象を描くことで、正常と異常との境界、そしてその絶対性に疑義を呈する寓話。

気象を「異常」とする基準とは何か。近代になって始められた観測のデータだ。「観測史」とはせいぜい百数十年という短期間である。だが、天気そのものは比較にならない長さで持続してきた現象だ。たどすれば、わずかな資料で「異常」を判断することは妥当と言えるだろうか。
例えば、田端駅などを通るJR京浜東北線の線路は、縄文海進の際の海岸線に一致する。海岸線は、地質学的レベルで俯瞰すれば、移ろうものである。巨視的な観点で考えれば、基準は変化するのだ。
ところで、家族とは何か。現在、家族制度を規制(線引き)する法は、やはり近代になって導入された仕組みである。徴税や徴兵、その他近代国家を支えるユニットとして近代的な家族制度は創設されたものであって、現在の家族法も、数次の改定を経たものであるとはいえ、原則、近代的な国家制度の枠組みにある。すなわち、現行の家族法が、普遍的な家族のかたちを定めたものではないのである。法規が守ろうとするのとは異なるかたちの家族もありうるのではないか。両親を失った姉弟の自活や、養育権を失った父親の子への愛情などを描くことを通じて、正常な家族と非正常な家族との間の線引きを問う。是枝裕和監督の『万引き家族』が扱ったテーマである。

森美術館で開催中の塩田千春の個展『魂がふるえる』でも、家族制度などのつくる壁がテーマの1つとして掲げられていた。また、塩田千春の展示で示されていた反転可能性は、含まれる水の量から積乱雲が巨大な水圏(生態系)であることを指摘する『天気の子』と共鳴する。