可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『あなたの名前を呼べたなら』

映画『あなたの名前を呼べたなら』を鑑賞しての備忘録
2018年のインド・フランス合作映画。
監督・脚本は、ロヘナ・ゲラ(Rohena Gera)。
原題は"Sir"。

ラトナ(Tillotama Shome)は、帰省したばかりの村から、学生の妹チョディ(Bhagyashree Pandit)への挨拶も早々に、荷物をまとめて出て行く。バイクの荷台にまたがり、バスに乗り換え、向かうのはムンバイ。ラトナが住み込みの家事使用人として仕える主人アシュヴィン(Vivek Gomber)の家に戻るためだ。アシュヴィンは婚約者サビナ(Rashi Mal)との結婚のためしばらく留守の予定であったが、急遽帰宅するとの連絡がラトナに入ったのだ。ラトナが従前の通り家事を行っていると、アシュヴィンが塞ぎ込んで帰宅する。管理人らの噂では破談はサビナの浮気が原因だというが定かではない。大奥様(Divya
Seth Shah)が訪れアシュヴィンと話し込む様子などから状況を推し量る他はない。復縁の可能性も取り沙汰されていたが、大量の結婚祝いがサビナから返送され、婚約の解消は決定的と言えた。ラトナはアシュヴィンに気を遣い、狭い自らの部屋に返送品を保管することにする。ラトナは結婚相手の病気を知らされないまま結婚し、19歳で未亡人
となった。故郷の村では死んだも同然の扱いで、食い扶持を自ら稼ぐため住み込みの家事使用人となった。チョディには同じ轍は踏ませまいとラトナは学費を仕送りするが、妹は姉の気持ちを慮ることなくムンバイへの憧れを募らせていた。ラトナにはファッション・デザイナーになりたいという夢があった。ラトナは頃合いを見計らって、アシ
ュヴィンに仕立て屋での見習いに行く許可を願い出て、許可される。アシュヴィンはかつてニューヨークで雑誌やブログに掲載する記事を書くほか、小説の執筆を進めていた。ところが、兄が亡くなったため、父ハレシュ(Rahul Vohra)の経営する不動産開発会社の跡継となるために帰国することになった。ハレシュはアシュヴィンが担当するビル建設の進捗状況に不満があり度々現場を訪れ、アシュヴィン越しに現場監督に指示を与えるのだった。婚約解消によりアシュヴィンの一人住まいに住み込みで働くことになったラトナに対して悪いうわさがたつと転職を勧める者もいるが、ラトナは言わせたい者には言わせておけばいいと仕事を続ける。アシュヴィンは気配りの出来るラトナに信頼
を寄せ、家族や友人たちが彼女に対し冷淡な態度をとるたびにラトナをかばうのであった。

 

ラトナが置かれた境遇は厳しいものだが、それを運命として受け入れながら、たくましく生きていく姿が淡々と描かれる。その健気な姿にラトナの幸福を祈りたくなる。アシュヴィンがラトナの救世主のごとく存在するのは、ファンタジーに過ぎるかもしれない。だが、ラトナを慣習や固定観念の縛りから、何よりそれらに基づいた彼女自身の自己規定(自身喪失)から解き放つには、陋習にとらわれた社会に対する劇薬が必要なのだろう。もっとも、この作品では、彼女を変えることができるのは、彼女が自信を持つことによってのみであることが示されていた。それが特殊な境遇の女性を描きもってこの作品が普遍性を獲得する跳躍を可能にしていた。