展覧会『みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ 線の魔術』を鑑賞しての備忘録
Bunkamura ザ・ミュージアムにて、2019年7月13日~9月29日。
アルフォンス・ミュシャの手がけたポスターなどに加え、それらに感化された後世のグラフィック作品を紹介する企画。
全5章で構成。
第1章は、「ミュシャ様式へのインスピレーション」として、ミュシャが幼少時に描いた作品や、ミュシャが蒐集した故郷モラヴィアの工芸品やアジアの美術工芸品などが紹介される。とりわけ世界の装飾デザインを集めた『装飾の文法』(オーウェン・ジョーンズ。1865年の仏語版)が目をひく。ウィーンで舞台美術に関わり、当代一流のハン
ス・マカルト(今年はウィーンに関連する展覧会でその作品をよく見かけた)の影響もあったようだ。ウィリアム・ホガースの作品を紹介しているのは、ホガースが絵画に物語を導入しようとした点にマンガの祖型が見られるかららしい。
第2章は、「ミュシャの手法とコミュニケーションの美学」。本展のサブタイトルに「線の魔術」が掲げられているが、ミュシャは基本的に「線の画家」であるという。『ル・モワ』誌をはじめとした雑誌の表紙や、『ドイツの歴史の諸場面とエピソード』などの本の挿絵を通じて、ミュシャの描線に着目させる。ただ描き手でないとミュシャがどのように優れているのかをつかむのが難しい(例えば、筆だけで描いていた時代の絵師の描線と、鉛筆やペンが入ってきた後の画家の筆による描線は違うとよく言われるが、素人目にはよく分からない)。ミュシャの落書きを展示しているのは、マンガへの連なりを示すためだろう。写真を用いての人物のポーズや配置について研究や、雑誌の
ページ・レイアウトの試行錯誤なども明らかにされる。
第3章「ミュシャ様式の『言語』」では、女優サラ・ベルナールのための《ジスモンダ》や、紙巻きタバコ《JOB》の広告など、ポスターを中心に、ミュシャの代表的なグラフィック作品を展観する。
第4章は「よみがえるアール・ヌーヴォーとカウンター・カルチャー」。1963年にロンドンで行われた回顧展を機にミュシャが再評価され、ロンドンやサンフランシスコのグラフィック・アーティストたちが冷戦体制に風穴を開ける起爆剤としてミュシャの様式を採用したという。60年代から70年代にかけてのレコード・ジャケットやコンサート
のポスター、さらに90年代以降のアメリカン・コミックなどにミュシャの影響を探る。
第4章が欧米におけるミュシャの影響を紹介したのに対し、第5章では「マンガの新たな流れと美の研究」と称して日本におけるミュシャの影響を展観する。一條成美が描いた1900年発行の『明星』の表紙は、星輝く夜空の下ユリの香りを嗅ぐ艶やかな黒髪の女性を大胆に表わしたものだが、ミュシャの影響だという。留学生によってミュシャの絵画はいち早く日本に紹介され、応用(あるいは転用)されていた。明治の文芸雑誌の紹介に加え、本展の掉尾を飾るのは、ミュシャの影響を受けたマンガ家たちの作品である。
華麗な女性像とそれを取り巻く流麗な装飾とを特徴とするミュシャの作品が19世紀末に登場した当時どれだけ人々の目を奪ったのだろうか。デジタルサイネージまでもが溢れる現在の巷と異なり、色彩がそれほど溢れていなかっただろう都市の中で異彩を放ったのではないか。本展は、そのミュシャの影響を60~70年代のグラフィック作品や日本のマンガなどに探る試みである(マンガに影響関係を見出すのが難しかったが)。だがそれがゆえに、サイケデリックなポスターや鮮やかな配色のマンガが併置され、ミュシャの鮮やかさが相対的に色褪せて見えてしまっていた(作品自体の経年変化もあるのだろう)。チラシや図録などにもショッキング・ピンクが採用されたことも、コントラストによってミュシャの作品が暗く、くすんで感じられた原因だろう。ジュリアン・オピー展(東京オペラシティ アートギャラリー)では鮮やかなオレンジ色の出展リストが配布されていたが、ポップなオピーの作品を引き立て、会場を華やかに彩るのに一役買っていたのと極めて対照的であった。主役となる作品の魅力を引き出すための配慮がもっとなされるべきであった。