展覧会『国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展』を鑑賞しての備忘録
国立西洋美術館にて、2019年6月11日~9月23日。
松方コレクションは、川崎造船所(現・川崎重工業株式会社)社長の松方幸次郎(1866-1950)が渡欧して形成した3000点に及ぶ西洋美術のコレクション。コレクションを公開する美術館建設も構想されていたが、金融恐慌により会社が傾いた際に売却され、ロンドンにあった一部作品は火災で焼失、フランスにあったものは第二次世界大戦中にフランス政府に接収され、散逸した。戦後、フランス政府から寄贈返還された375点をもとに国立西洋美術館が建設された。本展は、国立西洋美術館の所蔵品を中心に、在りし日の松方コレクションの面影を探る試み。
プロローグとエピローグを含め、10のセクションで構成。
「プロローグ」では、松方コレクションの顔であるクロード・モネ《睡蓮》(1916)、松方コレクションに基づく美術館をともに構想したアーティスト、フランク・ブラングィンによる《松方幸次郎の肖像》並びに《共楽美術館構想俯瞰図、東京》が展示される。
第1章「ロンドン 1916-1918」では、松方幸次郎が美術品のコレクションを開始した第一次世界大戦中のロンドン滞在時期を取り上げる。松方は、川崎造船所のストックボート(既製貨物船)売り込みと鋼材調達のため渡欧した。ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァリット・ミレイなどイギリスの画家に加え、ジョヴァンニ・セガンティーニなども入手した作品に含まれている。セガンティーニの《羊の毛刈り》は父親の正義が所有していた牧場の記憶が念頭にあったのではとの指摘あり。
第2章「第一次世界大戦と松方コレクション」では、美術が時局のメディアとして機能していたことを伝える作品を紹介する。エリック・ケニントンの《陸兵の教練》シリーズや、ジョージ・クローゼンの《大砲の製造》シリーズといった石版画、諸作家によるカラー・リトグラフ《大戦 英国の努力と理想》など国家側からの戦争観が描かれた作品がコレクションされる一方、アルフレッド・アイゼンスタットの対日戦勝を祝するキスの写真を髣髴とさせるテオフィル・アレクサンドル・スタンランの《帰還》、戦争で夫=父を失った家族を描いたリュシアン・シモンの《墓地のブルターニュの女たち》など民衆の側に着目した作品も入手している。
第3章「海と船」では、松方幸次郎の造船業者の側面が窺える船や海景をテーマとした作品が並ぶ。感傷に浸らされるような夕日に染まる海岸風景を横長の画面に表わしたシャルル=フランソワ・ドービニー《ヴィレールヴィルの海岸、日没》と緊迫した海戦を描いたチャールズ・ネイピアー・ヘミーの《水雷艇夜戦の図》とが向かい合って展示され、静と動との対比が印象的。シャルル・コッテ《悲嘆、海の犠牲者》の遺体と周囲の人々と、背景のオレンジ色の帆とがつくる明暗の対比も興味深い。
第4章「ベネディットとロダン」では、ロダンらの彫刻を展示するとともに、ロダン作品の入手だけでなく松方幸次郎の美術コレクション形成にも大いに寄与したロダン美術館館長レオンス・ベネディットを紹介する(後にベネディットらが獲得に成功したコペンハーゲンの実業家ウィルヘルム・ハンセンのコレクションは第6章「ハンセン・コレクションの獲得」で紹介されている)。松方幸次郎のロダン作品の大量買い付けは草創期のロダン美術館を財政的に支えることにもなった。パリで買い集められた松方幸次郎のコレクションが戦中にロダン美術館の旧礼拝堂に保管される便宜が図られたのもそのような経緯があってのことだった。ロダン美術館に保管された松方コレクションを撮影したガラス乾板も第4章で展示されている。
1921年にパリに渡った松方幸次郎はドイツの潜水艦の設計図入手という海軍からの密命を帯びていたという。実際8月にはドイツやスイスを歴訪している(その際入手したムンクなど北欧の画家の作品やフランドルの古画などは第7章「北方への旅」で展示)。パリに戻ると幸次郎は在仏邦人を引き連れ著名な画廊をめぐり作品を購入しているが、これは密命のカモフラージュだとも考えられるという。第5章「パリ 1921-1922」では、パリ滞在時にコレクションに加えられたモネ、ゴーガン、ゴッホ(オルセー美術館所蔵の《アルルの寝室》)らの作品を展観する。
第8章「第二次世界大戦と松方コレクション」は、松方コレクションの散逸がテーマ。金融恐慌で川崎造船所が傾き、松方のコレクションは差し押さえられて第二次世界大戦期にかけて次々と売り立てられていった。ロンドンに残されていたコレクションは1939年に倉庫の火災により焼失した(約950点のうち半数がブラングィンの作品)。ロダン美術館保管の400点あまりのコレクションは日置釭三郎が松方の代理人として管理していたが、ドイツ軍のフランス侵攻の際に一部を売却の上(アンリ・マティス《長椅子に座る女》はそのうちの1点)作品をアボンダンに疎開させ、ノルマンディー上陸作戦目前に作品とともにパリに帰還するが、パリ解放後にフランス政府によって敵国人財産として接収された。その後日仏政府間の松方コレクションの返還交渉において、矢代幸雄(文化財保護委員)は、フィンセント・ファン・ゴッホの《アルルの寝室》とピエール=オーギュスト・ルノワールの《アルジェリア風のパリの女たち》の2作品についてフランス政府の留保撤回を狙ったが、前者の留保撤回はかなわなかった。
エピローグでは、2016年にパリで発見されたクロード・モネの《睡蓮・柳の反映》を展示。パリからアボンダンへの疎開時に上半分が損傷したと考えられている。現存部分を修復して展示するとともに、乾板写真などから推定して復元したコンピューター画像を紹介する。
想定の範囲ではあったが、国立西洋美術館の常設展でお馴染みの作品が多く並ぶため、会場をめぐった際の視覚的な驚き・目新しさはそれほど感じられなかった。だが松方幸次郎が帯びた「密命」をはじめ、数々のエピソードによって、今まで気にとめていなかった松方コレクションと日本の近代史との結びつきが明らかにされていくのは面白かった。松方コレクションを通じて20世紀前半の日本の歴史が学べそうだ。