可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『コートールド美術館展 魅惑の印象派』

展覧会『コートールド美術館展 魅惑の印象派』を鑑賞しての備忘録
東京都美術館にて、2019年9月10日~12月15日。

ロンドンにあるコートールド美術館所蔵の印象派・ポスト印象派の作品60点を展示。

《カード遊びをする人々》などポール・セザンヌの作品9点を中心に計13点が紹介される「画家の言葉から読み解く」(LB階)、《桟敷席》などピエール=オーギュスト・ルノワールの6点やエドゥアール・マネの《フォリー=ベルジェールのバー》、エドガー・ドガ《舞台上の二人の踊り子》など計22点が並ぶ「時代背景から読み解く」(1階)、ポール・ゴーガンの《ネヴァーモア》やアメデオ・モディリアーニの《裸婦》などの絵画とともに会場出口付近でオーギュスト・ロダンらの彫刻がまとめて展示される「素材・技法から読み解く」(2階)の3つのセクションで構成。なお、コートールド美術館とコレクターであるサミュエル・コートールドの紹介はLB階の後半で行われている。


「画家の言葉から読み解く」(LB階)
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー《少女と桜》(No.1)で少女が纏う身体が透ける薄衣がエロティック。
フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く桃》(No.2)に設置するように塗られた絵の具の物質感が強烈。ゴッホは例えば浮世絵版画などの平板な画面を鑑賞してもそこから触覚的なものを感じ取っていたのだろうか。
クロード・モネ《花瓶》(No.4)で影に採用された黄色が印象に残る。
ポール・セザンヌアヌシー湖》(No.5)の画面左手に描かれる大きな幹の樹木が塔の主題を囲い込むことで強調している。塔にはアクセントとして灰色の下地を残す形でオレンジのラインが配されているとのこと。樹木が枠組みとなって主題を際立たせる手法は《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》(No.9)にも見られる。この作品において枝を伸ばす樹の形"「"は《カード遊びをする人々》(No.11)の左側の人物の姿"L"に呼応するようで面白い。どちらも絵画のために変形され、引き延ばされているようだ。同じくポール・セザンヌ《キューピッドの石膏像のある静物》(No.13)では異なる次元が相互に浸透し合うことで静物画にダイナミズムを持ち込む不思議な空間が広がっている。

「時代背景から読み解く」(1階)
芝生や植栽・街路樹など緑で統一されたアンリ・ルソーの《税関》(No.23)。上手く描けていないことが持つ違和のようなものに惹きつけられる。
ピエール=オーギュスト・ルノワールの製作したブロンズ像《洗濯する女(小)》は、ルノワールが描くような女性がきちんと立体として立ち現れている。
エドガー・ドガ《舞台上の二人の踊り子》(No.31)は画面の半分近くを床のような「余白」にしてしまっているが、床に引かれた線の効果で踊り子たちに視線が誘導されるようになっていることもあり、「余白」がきちんと踊り子を引き立てている。補色である赤と緑とを用いた飾りとポーズとで二人の踊り子を対照的に表わしている。中心となる踊り子の涼やかな表情とふくらはぎの筋肉の逞しさとの対比も面白い。
エドゥアール・マネ《草上の昼食》(No.34)は、人物が迷いなく描き込まれているのに対し風景に繰り返しの修正がなされていることから、オルセー美術館所蔵の同名作品の背景を検討するために同時期に制作されていたものではないかと考えられているという。
エドゥアール・マネ《フォリー=ベルジェールのバー》は、巨大なシャンデリアがぶら下がり、大勢の客で賑わう華やかなミュージック・ホールをバー・カウンターの鏡に映り込ませることで描いている。中央に描かれたバーメイドの虚ろな表情から右手へと視線を移し、そこにバーメイドの後ろ姿を認めると、鑑賞者は鏡像を探ることで歪んだ世界の中に囚われていくことになる。

「素材・技法から読み解く」(2階)
エドガー・ドガの未完成作《窓辺の女》(No.37)。近年の絵画において、顔や目をあえて描かなかったり塗りつぶすように描く作例をめにすることがあるが、それらを踏まえると、極めて現代的な「完成作」としても鑑賞できる。食糧事情に乏しい時に制作され、モデルにモデル料代わりに渡した肉の塊を生のまま貪るように平らげたというエピソードを加味すると、さらに異なった趣でも楽しめる作品。
ポール・セザンヌの未完成作《曲がり道》(No.39)は、曲がり道の感覚がうまく出せなかったので制作を放棄したのでは無いかと想像してしまう。ちょこちょこと短い線を重ねてつくったブロックを様々な色で配置していくことでできた街並みはリズミカル。
ジョルジュ・スーラが点描を画面全体に用いた最初の作品とされる《クールブヴォワの橋》(No.40)。小さな作品だが点描の独特の吸引力が発揮されているようだ。
エドゥアール・ヴュイヤール《屏風のある室内》(No.50)はソファ(か何か)を使ってストレッチをするような裸のモデルとソファ、屏風、壁などが渾然と一体化して印象的。
シャイム・スーティン《白いブラウスを着た若い女》(No.46)は右肩に対して左肩が下げられ、顔は右側にやや傾いで、やや上目遣いの女性像。荒々しい筆致で歪むように描かれた女性にざわざわとした感覚を味わわされる。
アメデオ・モディリアーニの《裸婦》(No.45)は「首を傾げ眠る」とされているが横たわっているようには見えない。裸身を晒すモデルが目を伏せることで恥じらうように感じられ、そこに絵画のモデルから生々しい裸体への遷移が生じ、エロティックな感覚を生んでいるようだ。