可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 坂本夏子個展『迷いの尺度、スピンオフ』

展覧会『坂本夏子「迷いの尺度、スピンオフ」』を鑑賞しての備忘録
NADiff Galleryにて、2019年9月21日~10月20日

坂本夏子の作品展。

《194cmの器のままで(a.座標の上端)》、《194cm原基(添い寝する折り尺)》など、作者が片手を伸ばしたときのからだの長さ=194cmという「尺度」が作品の重要なモティーフになっている。cm(センチメートル)はm(メートル)のc(100分の1)。メートルは、人類普遍の尺度を求めようとした革命に熱狂するフランスで生まれた。1795年、北極点と赤道との間の子午線の弧の1000万分の1がメートルとされたのである。1889年(バスティーユ牢獄襲撃から100年)には国際メートル原器が、1960年には光の波長(一定の条件下におけるクリプトン86の波長の1650763.73倍)が、そして1983年には光の速さ(1秒の299792458分の1の時間に真空中を光が進む距離)が定義に採用され、今日に到る。プラスマイナス20ピコメートルという精度が実現されているらしいが、その正確性を身体感覚で捉えることはもはや不可能だ。《継接ぎの地面》(plateauなどの書き込みあり)や《複数の地面》といった作品と重ね合わせると、作者はメートルの祖型が有したterre(大地、地球)とのつながりをこそ求めている。194cmは大地と身体とを掛け合わせた単位である。作者は截然とした正確さではなく、身体感覚あるいは揺れ(例えば、どんなに凝視しようとも視点は常に揺らいでいる)でこそ世界をとらえるべきだと主張しているのだ。《194cm原基(窮屈な折り尺)》や《194cm原基(添い寝する折り尺)》で尺度は折り尺で表わされ、それは曲がりくねるとともに画面をはみ出していく。また、《Untitled》というコンクリートの壁とアスファルトの地面をとらえた写真をもとにした作品は、言うまでもなく空間(3次元)を2次元(紙)へと落としこんだものである。だが、コンクリートの壁には、排水のための穿たれた穴がある。これは、四次元空間を描く際、xyz「平面」をt軸に向かって進むように描くことのアナロジーではないか。被写体となった空間が穴の方向(この場合は画面正面奥)へと移動していく状況を想像させるのだ。次元を往き来する実験。そして、折り尺系と次元系の作品を見た上でメインヴィジュアルとなっている《Signals, stacking》を見れば、多次元を往き来する作者の世界が自ずと見えてくるだろう。

 この缶詰〔引用者註:赤瀬川原平《宇宙の缶詰》〕をモデルとして、人間もまた梱包身体であることを思い知るのだ。人間は中に内宇宙を包み込んだ缶詰的な存在である。人間が外宇宙を知覚するのは、その人が内宇宙の梱包体であることによる〔引用者註:缶詰を裏返して宇宙を封印しようとするとき全てを詰め込むためには無限に缶詰を小さくしなければならない。「宇宙の梱包はどうしてもそのわずかな缶空間が不可欠であり、いわばそれを宇宙に対応する認識主体、すなわち一つの自我として考えることができるのではないか」〕。その内宇宙を含む作業の持続が人間の存在であり、その持続を人生という。私たちはいずれ内宇宙を含む作業の持続を解くことによって、この宇宙の一点に釘付けされた釘を抜かれて、この関係を抜け出していく。

 ところでこの宇宙の缶詰は蟹缶一つだけでなく、鮭缶でも作り、トウモロコシ缶でも作ったわけで、その点が重要である。つまり蟹缶は宇宙のほどんどを梱包しながら、そこにわずかな包み残しができた。しかしそれはもう一つの鮭缶によって宇宙もろとも包まれている。そしてその鮭缶にも宇宙の包み残しはあるのだけど、それはすでに蟹缶によって包まれているのだ。つまりAはBを包みながら、Bから包まれてもいる。同様にしてCDEがあるのであって、この宇宙はわずかな包み残しを別の缶が補いながら、いまは多重に包み込まれているわけである。そうやって宇宙の梱包は複合的に成立したのだ。

 この構造は、私たち人間の内宇宙を測定するに際して、重要なキーポイントとなる。私たちの共同の外宇宙に対応して、共同の内宇宙というものがどうのように存在するか。それが蟹缶と鮭缶の複合的なパースペクティヴに包み隠されてあるのではないか。いずれ私たちの誰かがその隠されたキーに接近し、私たちの内宇宙はさらに果てしなき無限小に向かってひろがるだろう。(赤瀬川原平『芸術原論』岩波現代文庫/2006年/p.157-158)

 

NADiff Galleryは螺旋階段を降りた地下室である。『迷いの尺度ーシグナルたちの星屑に輪郭をさがして』(ANOMALY)を鑑賞した者にとっては、Box Paintingの中へと降りていく感覚を味わえる。

見応えのある構想メモ《194cmの尺度の手帳 2019年9月》を照らす、折れ尺を擬したかのような電気スタンドも良い。