可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『眼差し そしてもう一つの』

展覧会『眼差し そしてもう一つの』を鑑賞しての備忘録
KOTARO NUKAGAにて、2019年10月19日~12月7日。

ヌードを切り口に、ポール・セザンヌパブロ・ピカソ藤田嗣治エゴン・シーレ、トム・ウェッセルマン、サイトウマコトマルレーネ・デュマスキース・ヘリング、井田幸昌の作品を紹介。

 

トム・ウェッセルマンの《Reclining Nude #21》(1989年)は横たわる女性のヌード。エドゥアール・マネの《オランピア》(1863年)を祖とし、本展出品の藤田嗣治《Grand nu (Madeleine Lequeux)》(1932年)の系譜にも連なる。但し、ウェッセルマン作品の女性の顔には口までしか描かれず、目が画面外に追いやられ、見つめ返す視線が存在しない。しかも日焼け跡の表現により乳房と陰部が強調されている。それでもポップなデザイン感覚によって性的な欲望による一方的な眼差しの効果は弱められている。
サイトウマコトの《Brix-66[green]》(2011-2012年)は女性の局部付近を切り取った作品。ギュスターヴ・クールベの《世界の起源》(1866年)を髣髴させる。同じくサイトウマコトの《Brix=16》(2010-2011年)は大画面(146.0×220.0cm)のため、距離を置くと陰阜を中心に下腹部をとらえた構図であることがはっきりするが、接近すると荒野の風景をとらえた作品に見える。
マレーネ・デュマス《Young boy (Love fever)》(1996年)は聖セバスティアヌスの図像を踏まえたような灰色で描かれた男性の身体。間近で見ると、絵具に混ぜられた(?)胡粉のような粒子が輝き、汗が噴き出ているかのよう。
井田幸昌の《Red dress》(2019年)は、壁に設えられた棚に向かって立っている鮮やかな赤いワンピースを着た女性を背後からとらえた作品。画面上部はほぼ水平の視線で描かれているのに対して、画面下部は女性の足下に向けて見下ろすような視線と、女性の右手足下にあるケースに向けては見上げるような視線と、複数の視角が混在している。この視線を動きにより繋げてみるとどうだろう。棚のつくる黒い影(「世界の起源」のアナロジー)が視線を吸い込もうとするのに誘われ、女性の背後に近づく。女性が気付き、右手で裾を捲り上げる。視線を足下へ向け、徐々にかがみ込む…。この作品はヌードへの絵画ではないだろうか。