可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 立原真理子個展『くさまくら』

展覧会『立原真理子展「くさまくら」』を鑑賞しての備忘録
藍画廊にて、2020年1月6日~18日。

会場の中央には、上半分を白い糸で下半分を青い糸で縫った蚊帳が吊ってある。4
面あるが、3面は正方形のうちの3辺を作るコの字型に廃され、奥の面だけは、蚊帳が囲う空間の内部に入ることができるよう斜めに配されている。緑色を基調とした糸を用いていくつかの島影が刺繍され、蚊帳の白と青とが空と海とを強くイメージさせる。《くさまくら》と題されたこの作品に近づくと、垂(しで)を下げた注連縄(しめなわ)が結ばれた樹木や、五色絹の吹き流しなど、境内のような聖域を表す表現が目に入ってくる。島の中に立つ朱の鳥居にも気がつく。

イタリア・ルネサンス期のレオン・バッティスタ・アルベルティが、その著書『絵画論』の中で「私は自分が描きたいと思うだけの大きさの四角のわく〔方形〕を引く。これを私は、描こうとするものを通して見るための開いた窓であるとみなそう」と記して以来、「窓」が絵画における重要なテーマになってきたという(蔵谷美香「窓からの眺め、リミックス」東京国立近代美術館編『窓展:窓をめぐるアートと建築の旅』平凡社/2019年/p.148-149)。絵画は、窓の持つ機能のうち、外界を見渡す役割を代替してきた。見通しのきかない壁面に世界への眺望を導入したのだ。その点、立原真理子は、窓の眺望機能の代替ではなく、窓の眺望と共存する装置として、網戸に着目した。網戸に刺繍することで、絵画として現在しない景観を表しつつ、現前の光景を見通すことを同時に可能にしたのだ。《くさまくら》は網戸ではなく蚊帳をメディウムとして用いている。襖絵や屏風絵のように絵が建具に描き込まれきたという来歴に照らせば、網戸や蚊帳に装飾を施すのはむしろ正統な表現とも言える。それでも、ガラスやアルミサッシなどによる密閉型の住環境が主流の現代日本において、蚊帳の利用は減っているだろうから、蚊帳の利用は奇異に映るかもしれない。だが蚊帳の選択はむしろ必然であった。美術品の展示空間の多くは、平均的な住空間よりもさらに密閉された空間であろう(だからTHE PLAY《MADO 或いは返信=埒外のものを愛せよ》が衝撃的な作品になり得た。前掲書p.118)。ゆえに開口部のない展示会場では、網戸を用いた作品の意義を十分に理解させることは難しかった。外部環境との境界に設置できないからである。だが、蚊帳であれば、そもそも屋内空間において緩やかな境界を生み出す装置であるから、ギャラリー内部に設置するとき、その機能をより容易に認識しうるのだ。現実の視界を確保したまま、作者の刺繍による表現が組み合わさる。これは、スマート・アイウェアの社会のメタファーである。仮想・描出された表現のみをモニターに見るのではない。現実までもがその皮膜のようなディスプレイを通じてとらえられているのだ。その皮膜を聖化して有り難く受け容れるのみで良いのだろうか。一歩足を踏み出して境界を越えて見よ。そこには空虚が広がるばかりかもしれない。