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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『サラ・ベルナールの世界展』

展覧会『パリ世紀末ベル・エポックに咲いた華 サラ・ベルナールの世界展』を鑑賞しての備忘録
渋谷区立松濤美術館にて、2019年12月7日~2020年1月31日。

アルフォンス・ミュシャのポスターなどでおなじみの、ベル・エポックのフランスを代表する女優サラ・ベルナールを紹介する企画。

2階展示室では、第1章「サラ・ベルナールの肖像 女優、時代の寵児として」と銘打って、サラ・ベルナールの肖像写真や肖像画とともに、舞台での装身具などが紹介される。女優として活動を開始した19世紀中葉と肖像写真の流行期とが重なっていた彼女は、肖像写真や舞台の写真など、自らのイメージの演出にも腐心したらしい。ウジェーヌ・サミュエル・グラッセが手がけた舞台『ジャンヌ・ダルク』のポスターでは、縮れ毛や顔の向きが気に入らないと修正させたという(修正前後の作品を展示)。家族や仕事仲間だけでなく、ギリシャ彫刻のような肉体を誇ったルー・テリジェンを始め、恋仲にあった人々の姿も写真により紹介されている。
地下1階展示室は3つのセクションで構成されている。第2章「パトロンとしてのサラ・ベルナール ミュシャとラリックの関係」では、アルフォンス・ミュシャがデザインし、ルネ・ラリックが制作した冠を象徴として、サラ・ベルナールが有能な作家を庇護したことを紹介する。第3章「サラ・ベルナールとその時代 ベル・エポック」では、アルフォンス・ミュシャの制作したポスターやルネ・ラリックの手がけたアクセサリーをはじめ、ベル・エポックを街を賑わせた大判のカラー・リトグラフのポスターなどが紹介される。第4章「サラ・ベルナール伝説」では、サラ・ベルナールが自ら興業を取り仕切る経営者であり、劇団を起ち上げ、劇場を借り上げたこと、さらに、戯曲を書いたり(『告白』を展示)、彫刻を制作したり(《嵐の後》の石膏原型の写真を展示)と、マルチな才能を発揮したことを取り上げる。ブロンズ作品《キメラとしてのサラ・ベルナール》には八面六臂の自らのイメージが投影されているようだ。彫刻家としてのイメージを自刻像の前で白いピエロの衣装に身を包んだ写真(撮影はアシル・メランドリ)で流布させているが、アンドレ・ジルなどがカリカチュアに翻案してそのイメージをさらに広めることになった。諷刺画家のシャルル・アンドレの《サラ・ベルナール礼賛》では横向きで天を仰ぐサラ・ベルナールの顔は蛇の体のように複雑に折れ曲がった形で表されているが、揶揄よりもむしろ驚異的な能力に対する畏れが含意されているのかもしれない。異才の片鱗は、1878年のパリ万博で搭乗した気球の経験をもとに著した本において、「椅子」が印象を語る体裁をとっていることにもうかがわれる(書籍『雲の中である椅子の印象』)。