可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 第12回恵比寿映像祭「時間を想像する」

展覧会『第12回恵比寿映像祭「時間を想像する」』を鑑賞しての備忘録
東京都写真美術館を中心に、2020年2月7日~23日。

東京都写真美術館をメイン会場に毎年開催されている映像をめぐるフェスティヴァル。今年は「時間を想像する」を総合テーマに、歴史の継承や再編成の方法、映像による時間経過や感覚の表現、量子力学に表される虚時間(imaginary time)に関連する作品の展示・上映・関連イヴェントが行われる。ディレクターは田坂博子。

ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニ《移動の自由》(2017)(3階展示室)
1960年のローマ五輪における、エチオピアのマラソン選手アベベ・ビキラの金メダル獲得を中心に、歴史的記録映像と、アディスアベバ(?)の街並みを走るランナー、さらにアディスアベバ(?)の子どもたちの姿(合唱など)と、3つの映像を組み合わせたインスタレーション。1936年、アディスアベバイタリア軍により占領され、イタリア領東アフリカ帝国の首都として、植民地支配のモデルとなる都市計画が進められた。ムッソリーニの時代にローマに移設されたアクスムエチオピア)のオベリスクは、戦後も帝国主義の強慾の象徴として屹立し、裸足で走るアベベ・ビキラに対して強いコントラストをなしていた。このような歴史的事実を、地中海を渡りイタリアへ向かう難民たちへとつなげる。侵略のための軍隊が越え、略奪品が運ばれた海における、移動の自由とは何なのか。

真鍋博《時間》(1963)(3階展示室)
アナログ時計の針を脚(人物)に見立てたアニメーション。時計が様々に姿を変えていくストーリーに引き込まれていく。

時里充《見た目カウントトレーニング#3エクササイズ》(2020)(3階ロビー、地下1階ロビー)
同じ運動を繰り返す人がモニターに映し出され、モニターの前に設置されたカウンターが映像の動きを認識してカチャカチャとカウントしていく。疲れたりして脱落した人物は画面から消え、カウンターの動きは止まる。現実ではなく、ディスプレイの表示を見て単純な反応をひたすら繰り返すカウンターこそ、現代の人間ではないか。

多和田有希《Family Ritual》シリーズ(2018-20)、《Birth-day》(2012)(2階展示室)
紙に印刷した写真を焼き切って複数の層に並べて見せるシリーズ。人物や動植物がリボンのような空洞の構造物へと変換されたような世界は、サルヴァドール・ダリの絵画に通じる。

高谷史郎《Toposcan/Tokyo》(日仏会館ギャラリー)
8台のモニターが並列されている。グレーの濃淡の線が8枚のディスプレイを横断して延びている。画面の片端からグレーの糸が布へと織られていくように少しずつ風景が姿を現す。東京の各所でカメラを水平に回転させて捉えた景色だ。8枚の画面いっぱいに風景が表示されてしばらくすると、再び糸へと解かれていくように画面は少しずつグレーの濃淡へと姿を変えていく。姿を見せたり消したりするじらすような時間を生む、この織りと解きの繰り返しには、何故か引き込まれてしまう魅力がある。撮影時のものと思われる環境音も効果的に用いられている。皇居外苑霞ヶ関方面を向いて撮影したと思しき光景は、雨中の松とビルの林立が、長谷川等伯の《松林図屏風》を連想させる。ディスプレイは並列されてはいるものの「四曲一双」あるいは「八曲一隻」といった屏風として突如立ち現れる。