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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 サーニャ・カンタロフスキー個展『Paradise』

展覧会『サーニャ・カンタロフスキー「Paradise」』を鑑賞しての備忘録
タカ・イシイギャラリー 東京にて、2020年1月24日~2月22日。

サーニャ・カンタロフスキーのペインティング4点と対になる木版画4点を紹介(1階のヴューイング・ルームでは、これらの作品とは別に、顔を描いたシリーズを展示)。

木版画《Good Host》(2019)はエメラルド・グリーンのコートを羽織る女性が、朱色の服を着た少年の肩に手を置き、その顔を見つめながらを、紺色の扉の前に立っている。右側のわずかに開いた扉からは、少年の顎に向かって、黒いジャケットの裾から手が伸ばされている。背後の鉄柵や扉のつくる連続する縦の線に対し、この手(腕)のつくる横のラインが少年への蹂躙を予兆するようだ。広重《東海道五拾三次 三島 朝霧》、同《名所江戸百景 京橋竹がし》などで見られる家並みをシルエットで表すことで主題を浮き立たせる手法が本作品でも用いられ、緑と朱との補色による中心人物の強調の効果を高めている。また、この場面から離れるように画面外へと歩を進める通りのシルエットの人物が、見て見ぬふりをする行為を象徴するようにも見受けられる。ペインティング(油彩・水彩)《Good Host II》(2019)では、朱色のワンピースを身につけ、頭頂部で長い髪を結った女性が、両手に抱えた黒いパグを幼い少年に見せている。パグの愛らしい表情とその目を見つめるように顔を上げる少年の姿が微笑ましい。《Good Host》における黒い袖が《Good Host II》ではずんぐりした黒いパグへと置き換わっていること、さらに女性の衣装と扉とが、それぞれエメラルド・グリーンと紺色の寒色から、朱色と黄色の暖色へとが変わっていることとが作品の印象を大きく変えている。だが、少年の肩に手が置かれている手が、右側の漆黒の影から触手のように腕が伸びており、《Good Host II》においても不穏な雰囲気は維持されている。

木版画《Cataract》(2019)は波打ち際で怪我をした右腕を庇いながら男が蹲っている。数多くのしわが表された苦悶の表情の男は、そばにいる海鳥の姿に驚くような視線を向けている。ペインティング(油彩・水彩)《Cataract II》(2019)では、波打ち際に白い服をまとった男性が倒れていて、その上に馬乗りになった上半身裸の男性が歯を食いしばりながら左の拳を打ち下ろそうとしている。倒れた男の白い衣装やのぞいた裸足の左足は輝くようで、馬乗りの男の青白い肌、濃紺のパンツ、革靴との対比が強調されている。《Cataract》と《Cataract II》とでは、海の色が淡い水色から灰青に置き換わり、場面を捉える角度がやや上方から低い位置へ切り替わっている。ひょっこり現れた海鳥は、冷徹な観察者のように首を垂直に立てくちばしを暴行場面へと向けて不動の姿勢を保つ。

木版画《Woe to Wit》(2019)は骨と化した魚を前にした男の肖像が、数多くの骸骨とその間をつたう蔓草がシルエットとして描かれた場面の画中画のように描かれている。ペインティング(油彩・水彩)《Woe to Wit II》(2019)では、画面の手前のテーブルに向かってジャガイモの皮を剥く人物が描かれている。テーブルの上にはジャガイモの入ったネット、剥き終えたジャガイモの入った器、干物のような魚、花を生けたガラスの壺などが置かれている。背後には扉を開けるように両腕を左右水平に伸ばした女性が立っていて、扉の向こうには骸骨かジャガイモを思わせる顔が無数に描き込まれている。無数の顔や骸骨に、ジェームズ・アンソールの絵画を思い起こさせるものがある。《Woe to Wit》と《Woe to Wit II》とでは暖色と寒色と印象は大きく異なるが、逢魔が時の光のような朱が効いた前者がより禍々しい。そこには飢えと狂気とが描かれているのだから。だが「正気に災いあれ!(Woe to wits!)」というタイトルからすれば、飢えた人々を背に平然と豊かな食事を準備する人物こそ糾弾されるべきだろう。扉を開け放つ女性は作者のアヴァターではなかろうか。

木版画《Curtain》(2019)は坊主頭の白い肌の男が背後から同じく坊主頭の白い肌をした少年の右肩に右手を置き、左手で少年の目を覆っている姿が横から描写されている。淡いピンク色の壁には二人の影がくっきりと映る。ペインティング(油彩・水彩)《Curtain II》(2019)では少年は裸となってややくすんだピンク色の肌を晒し。男も胸元が開いた服を羽織ったように描かれるが、頭部や手は灰色で塗られている。そして、少年の頭頂部に口づけしながら鑑賞者の側をじっと見据えているが、あるいは、悲惨な結末(curtains)への覚悟を示しているのかもしれない。

この展覧会には「Paradise」が冠されており、失楽園(Paradise Lost)」の人間の強欲、憤怒、貪食、色欲といった罪を描いた作品を並べていると解される。