映画『ミッドサマー』
2019年のアメリカ・スウェーデン合作映画。
監督・脚本は、アリ・アスター(Ari Aster)。
原題は、"Midsommar"。
心理学を専攻する学生ダニ(Florence Pugh)は自宅で一人不安に苛まれている。妹のテリー(Klaudia Csányi)からの別れを告げるメールにこれまでにない不吉なものを感じたのだ。3度メールを送ったが、テリーから返信はない。雪の降る寒い夜だが実家にかけた電話には誰も出ず仕舞い。ダニはメッセージを残す。そこへクリスチャン(Jack Reynor)から電話が入る。ダニは、テリーの様子がおかしいと訴えるが、いつも通り姉の気を引きたいだけだからと軽くあしらわられる。二人は交際して3年に及んでいたが、不安定な精神状態のダニにクリスチャンは振り回されており、友人のマーク(Will Poulter)に至っては別の女をつくるようアドヴァイスする始末だった。クリスチャンは後で立ち寄るとダニに伝えて電話を切る。しかし、ダニの悪い予感は的中していた。テリーは自動車の排気ガスを寝室に引き込み両親を殺害するとともに、自らも同じ方法で死を選んでいた。
夏を目前に控えて、文化人類学を学ぶクリスチャンは、同じ専攻の友人ジョシュ(William Jackson Harper)が友人ペレ(Vilhelm Blomgren)の故郷スウェーデンの夏至祭の調査旅行に、マークとともに同行することとなった。クリスチャンが3人を呼んで自宅で旅行の計画を練っていると、ダニがやって来る。行き掛かり上やむを得ずダニを旅行に誘ったが彼女はついてこないと思うと告げるクリスチャン。だが顔を見せたダニは旅行に参加すると皆に告げる。ペレは小さなコミュニティで育ったのは両親が焼死したためだから気持ちはよく分かるとダニに同情するが、ダニは事件を思い出し激しく動揺する。
5人はスウェーデンの北部に飛び、長時間のドライブでコミュニティを目指す。目的地そばの草原で車を停めると、ペレは兄弟同然に育ったインゲマール(Hampus Hallberg)に再会を果たし、インゲマールが招待したイギリス人のサイモン(Archie Madekwe)とコニー(Ellora Torchia)のカップルを紹介される。4人は薬で、ダニはキノコを用いて「トリップ」する。数時間後、ダニが正気を取り戻してもあたりは白夜のため明るいままだった。一行は森の中をコミュニティの中心部へと向かって歩く。開けたところに出ると、夏至祭のための太陽を象った木製のゲートが設置されていた。刺繍をあしらった真っ白な衣装を身に纏った人々が彼らに寄って来て暖かく迎えられるのだった。
5人とともに何だかよく分からないまま禍々しいものに巻き込まれていく展開が最高。ダニのようにいつの間にかロンドを舞わされているのだ。
冒頭に絵巻のような絵画が掲げられる。何をモティーフにしているのかは不明。ヨーロッパ中世の写本のような、あるいは、ヘンリー・ダーガーを洗練させたスタイルのタロット・カードのような。コミュニティの建物の中にも同種の絵が壁面に描かれている。素朴で愛らしくコミカルでありながらサクッと惨劇や狂気が入り交じるこの絵が作品の世界をよく表している。
衣服に縫い込まれたり石柱に刻まれたルーン文字には具体的な意味があったのだろうか。
共同体の「聖書」は、「タブー」を犯すトリック以上に生かし切れていない。だが、むしろそれで良いのかもしれない。
鏡(鏡像)、上下反転による撮影、冬の出来事から夏の出来事へ、明るい夜(白夜)といった反転のイメージが多用されている。
コミュニティの維持のためのシステム。管理された供犠やリプロダクション。ハンディキャップがある人の役割。ユートピア、ディストピアはいつでも容易に反転する。
マヤ(Isabelle Grill)の惹き付ける力がすごい。
ペレの両親がなぜ焼死したのかは明言されていないが最後まで見ると分かる。
日本の観客向け(?)に「八つ墓村」的なシーンも。
原題"Midsommar"はスウェーデン語らしい。英語の"midsummer"にそっくり。