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芸術鑑賞の備忘録

本 大髙保二郎『ベラスケス 宮廷のなかの革命者』

本 大髙保二郎『ベラスケス 宮廷のなかの革命者』(岩波新書新赤版1721/岩波書店/2018年)を読了しての備忘録

目次
はじめに~モノローグ~
Ⅰ 画家の誕生~聖・俗の大都市セビーリャとボデゴン~
画家の誕生と出自の謎/都市セビーリャの歴史/大航海時代/聖と俗の都市/傑出した教養人パチェーコ/ベラスケスの教養の源/転換期の美学と初期宗教画/新たな挑戦/ボデゴンと肖像画/「キリストは土鍋の中にも宿る」
Ⅱ 「絵筆をもって王に仕える」~フェリペ4世の肖像から《バッコスの勝利》へ~
新王即位と王付き画家の誕生/寵臣オリバーレス/王宮レアル・アルカーサル/《セビーリャの水売り》/スペイン型宮廷肖像の伝統/ベラスケス型国王肖像/メセーナとしての「惑星王」/ベラスケスへの批評/「二足の草鞋」の始まり/ルーベンスとの確執/《バッコスの勝利》と現実社会/肖像画家から構想画家へ
Ⅲ ローマでの出会い~ヴィラ・メディチと古代への感興~
あこがれのイタリア/研修と買い付けの旅/ローマへの旅程/1630年のローマ、カトリックの勝利と栄光/ヴァティカンからヴィラ・メディチへ/ガリレイとの出会い?/ベラスケス絵画のヨーロッパ化/霊感のトポス,ヴィラ・メディチ/純粋風景画の誕生/いつ描かれたのか/見出された風景画/ベラスケスの求めた道
Ⅳ 絵画装飾の総監督~《ブレダ開城》をピークに~
新たな環境と芸術上の成熟/新王太子の誕生/パラゴーネからヴィジョンとしての絵画へ/装飾指揮官として/離宮ティーロの造営/諸王国のサロン/《ブレダ開城》/表象された「和解」の精神/2つの王家騎馬像/《フアン・マルティネス・モンタニェース》/フェリペ4世騎馬像,絵画から彫刻へ/風景画のギャラリー/「道化の間」の主役たち/画家たちの画家~ベラスケスからマネへ~/狩猟塔トーレの建設と増改築/物語の画家対人間の画家/矮人の肖像は訴える/王のギャラリー/隣室の装飾/《メニッポス》から『三四郎』へ
Ⅴ ふたたびイタリアへ~《教皇インノケンティウス10世》から《鏡のヴィーナス》へ~
危機と衰退の1640年代/遠征先で描かれた肖像画/女性たちの肖像/第二次イタリア遊学、ローマへ/栄光の時とパレーハの肖像/インノケンティウス10世との対峙/古代彫刻の蒐集/絵画蒐集とフレスコ画家の招来/《鏡のヴィーナス》、モデルの謎/裸体画の空間/秘匿された愛人と子供
Ⅵ 封印された野望~晩年の日々と《ラス・メニーナス》~
王家ファミリーの肖像/《フェリペ4世の家族》、愛称《ラス・メニーナス》/アルカーサル内を歩いてみよう/絵の舞台,旧王太子の間/鏡が表象するもの/王家の群像の中の画家/描き直された自画像/リアリズムを超えた真実/《織女たち》の由来と意味/《アラクネの寓話》を読み解く/サンティアゴ騎士団入団審査/「貴族」の証明/「高貴なる天才画家」伝説/封印された野望/コンベルソと知の系譜/「我描く、ゆえに我あり」
終章 晩年の活動と近現代への遺産
最晩年の制作/ベラスケス工房と作品の帰属/遺産台帳にみる画家の生活/マリア・テレサの婚儀/ついにフランスへ/最後の大事業/タピスリー装飾による理念の表現/死後の栄光/画家の遺産~ゴヤから小津まで~
あとがき
図版出典元一覧
本書で参照・引用した邦語文献、並びにもっと知りたい読者のために

エドゥアール・マネが"lepeintre des peintres"(画家の中の画家)と評するなどベラスケスが実作者たちに大きな影響を及ぼし得たのは何故か。作者は、彼が西洋絵画史において「静かなる革命」を成し遂げたこと、すなわち、人物であろうと事物であろうと描く対象に等しく「存在すること自体の尊厳性」を付与したことにその理由を求めている。

セビーリャに生まれ育ったベラスケス(ディエゴ・デ・シルバ・イ・ベラスケス)は、11歳でフランシスコ・パチェーコに入門。徒弟修行を経て聖像画家となる。ジャンルを問わず現実の出来事のように描く姿勢が初期の作品から示され、宗教画に世俗性を、ボデゴン(厨房風俗画)に宗教性を与えた。(Ⅰ)
師パチェーコと親交があった、フェリペ4世の寵臣オリバーレス伯爵(ガスパール・デ・グスマン)の後ろ盾のもと、ベラスケスは宮廷画家となる。「雰囲気の魔術」と呼ばれる空気の層と影のみで表した空間に簡素かつリアルな国王肖像のスタイルを築くとともに、物語絵(構想画)に取り組んでいく。また、宮廷画家にして王の傍に仕える廷臣という二足の草鞋二足を履くことになった。(Ⅱ)
絵画芸術の研修と作品蒐集とを兼ねてイタリアに遊学する。主にローマに滞在し、古代彫刻やルネサンス美術を吸収する。オランダ、フランドル、フランスなどの画家がローマで描き始めていた風景画(写生画)をベラスケスも試みていた。(Ⅲ)
帰国後は離宮ブエン・レティーロや狩猟施設トーレ・デ・ラ・パラーダの室内装飾に関与した。離宮唯一の政治空間「諸王国のサロン」は、ベラスケスの《ブレダの開城》などスペインの画家によるフェリペ4世の戦勝を讃え平和が希求される画面で占められた。対して狩猟塔では武具を外した《マルス》に象徴されるように休息の場が演出された。(Ⅳ)
絵画や古代彫像蒐集などのため再度イタリアへ遊学。ゴヤの《裸のマハ》誕生に影響した《鏡のヴィーナス》は古代やルネサンスのヌードに囲まれたローマ滞在中に描かれたものと推測。また、王命を無視して滞在を延期した原因として、愛人と子どもの存在があったという。(Ⅴ)
ラス・メニーナス」として知られる代表作《フェリペ4世の家族》の解釈を展開。鏡の効果、画布を前にした絵画の姿勢、「家族」である王女マリア・テレサの不在などが解き明かされる。また貴族になること(サンティアゴ騎士団への入団)を目指したベラスケスのルーツとして、「コンベルソ(ユダヤ教からキリスト教への改宗者)」についても解説する。(Ⅵ)
王女マリア・テレサの婚儀に奮闘した最晩年を描く。(終章)

絵画の職人芸(ギルド)から自由学芸(アカデミー)への転換はイタリアでは16世紀初頭に完了していたが、スペインではそうではなかった。ベラスケスが薫陶を受けたフランシスコ・パチェーコはスペインにおいてその実現を希求していた。ベラスケスが画家ではなく廷吏としての肩書にこだわったのはそのようなスペインの社会背景がある。彫刻家の肖像《フアン・マルティネス・モンタニェース》において画中の彫像が未完成であり、《フェリペ4世の家族》で作者が画布を前にして観想しているのは、芸術における"disegno interno"=知的営為を示すためであった。
《ブレダ開城》や《フェリペ4世の家族》をはじめ作品の解説が丁寧で面白い。描き込まれたものの解釈にとどまらず、鑑賞者の視線の動き、離れてみたり角度を変えて見ることへの言及が興味深い。
フェリペ4世の"concordia"の希求を「諸王国のサロン」の展示作品や《マルス》から読み取っている。
ベラスケスの蔵書の豊かさ、とりわけ建築書・理工書から、ベラスケスの科学的素養を紹介している点が興味深い。離れてみたときに見栄えのする描法や鏡の利用には科学的知見が生かされていそう。
宮廷画家であるがゆえに存在が広く知れ渡るのはナポレオン戦争後の時代。
ルーベンス(Ⅱ)、ガリレイ(Ⅲ)、マネや夏目漱石(Ⅳ)、小津安二郎(V)への言及も興味深い。
パチェーコは、その著書で、弟子で娘婿のベラスケスを現代のリュパログラフォス(日常のモティーフを描いて名声を博したピレエイクス)にしてアントロポグラフォス(肖像を描いたディオニュシオス)に仕立て上げようとした。
カトリックの厳しい規律のかげで「ポエジア」(フェリペ2世)と呼ばれる裸体画の伝統。
見合い写真としての肖像画
アビラの聖テレサの言葉「主キリストは土鍋の中にも宿ることを悟りなさい」。
コンベルソと知の系譜の件は、日本は「女性かつダブルルーツという可傷性の高い属性のタレントにだけ政治的発信させて」いるという手塚空の指摘(2020年4月18日付のツイート)に連なる。
図版は新書としては豊富。地図・見取り図を用いて空間の解説が丁寧。
語句索引・年表があったらなお良かった。
デコールム(decorum)などいくつかなじみの無い用語があった(読み飛ばしても問題ないレヴェルで)。