映画『その手に触れるまで』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のベルギー・フランス合作映画。84分。
監督・脚本は、ジャン=ピエール・ダルデンヌ(Jean-Pierre Dardenne)とリュック・ダルデンヌ(Luc Dardenne)。
撮影は、ブノワ・デルボー(Benoît Dervaux)。
編集は、マリー=エレーヌ・ドゾ(Marie-Hélène Dozo)。
原題は、"Le jeune Ahmed"。
女性教諭イネス(Myriem Akheddiou)から初等数学の補講を受けていたアメッド(Idir Ben Addi)はトイレに駆け込み兄ラシッド(Amine Hamidou)とケータイで連絡をとる。兄が迎えに来ると慌てて下校するアメッドに対し、イネスは何度も呼びかけるが彼は立ち止まろうとしない。ようやく出口で追いついたイネスは挨拶としての握手を交わさないことを注意するが、アメッドはムスリムは女性に触れないと握手しないまま出て行く。アメッドはラシッドと車に乗り込み、食料品店を営む導師ユスフ(Othmane Moumen)のモスクに向かう。アメッドは車中でもクルアーンの暗記に取り組み、モスクではユスフがピンマイクを付けるのを手伝うなど甲斐甲斐しく立ち回る。帰宅して夕食をとっていると、母(Claire Bodson)から先生と握手を交わさなかったことを注意する。最近急速にイスラームにはまりこんでいる息子が、過激派として命を落とした従兄弟の二の舞となる事態は断じて避けさせなければならないと感じていた。幼い頃、イネス先生が毎晩読み書きを教えに来てくれたからこそ今のお前があるんだと諭すが、アメッドは母親をアラビア語でアル中だとけなす。今の言葉をフランス語で言いなさいと母は激昂。アメッドは帰宅した姉を色情狂呼ばわりしてさらにもめることに。アメッドはユスフの影響で「殉教者」である従兄弟を尊敬していた。また、「異教徒」であるユダヤ教徒と交際しているイネス先生が許せなかった。アメッドはイネスが始めようとしている歌で学ぶアラビア語講座についてユスフに意見を求めると、ユスフは聖なる言葉を歌謡曲で学ぶなど冒涜だと、イネスを背教者扱いし、講座を中止に追い込むよう兄弟に促す。イネスのアラビア語講座の開講の是非について話し合いが行われ、実用的なアラビア語ができると生活や仕事で役立つとの意見が出る一方、年少者は聖典だけでアラビア語を学ぶ方が良いと反対意見も出た。ラシッドが反対意見を唱えるが言葉に詰まってしまうと、すかさずアメッドが先生はユダヤ教と交際している背教者だと指弾して会場を立ち去る。ユスフのもとにアメッドを訪ねたイネスは一緒にクルアーンを学ぼうと誘うが、アメッドは応じない。アメッドはユスフによって背教者は排除すべきではないかと焚きつけられていたのだ。小型のナイフを靴下に忍ばせたアメッドは、イネスの住まいへと向かうのだった。
アメッドが信仰に殉じる戦士たらんと暴走する姿は、痛々しく哀れであるとともに恐ろしい。アメッドはどうなってしまうのだろうかとハラハラし通しで最後まで見続けることになるだろう。ラストシーンからエンドロールまでの長めの「間」は監督から強く思考を促された。
「アメッド」を生み出す「ユスフ」的存在に対する非難が伝わってくる。