映画『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』を鑑賞しての備忘録
2018年製作のスウェーデン映画。97分。
監督は、ツバ・ノボトニー(Tuva Novotny)。
原作は、フレドリック・バックマン(Fredrik Backman)の小説『ブリット=マリーはここにいた(Britt-Marie var här)』。
脚本は、ツバ・ノボトニー(Tuva Novotny)、アンデシュ・アウグスト(Anders August)、エイスタイン・カールセン(Øystein Karlsen)。
撮影は、ヨナス・アラリク(Jonas Alarik)。
編集は、モーテン・エグホルム(Morten Egholm)、フレデリク・シュトルンク(Frederik Strunk)、ホーカン・カールソン(Håkan Karlsson)。
原題は、"Britt-Marie var här"。
ブリット=マリー(Pernilla August)は63歳。ケント(Peter Haber)と結婚して40年になる。出張の多い夫のため、家事を完璧にこなしてきた。朝は6時に起床。朝食の準備をして、洗濯をして、ベッドメイキングをして、掃除機をかけ、窓を拭き、買い出しに出かけ、夕方6時に夕食を開始できるようにして夫の帰りを待つ。常にメモ帳を携帯してToDo リストを書き込み、やり終えた項目を消し、家事に抜かりがないよう努めている。家の中については隅々まで把握し、夫にカミソリの位置を聞かれれば即座に洗面所の3番目の引き出しと答えられる。帰宅した夫は、手をかけた料理に「美味しい」の一言もなく平らげ、そそくさとサッカー観戦のためリヴィングに向かう。夫にとってはサッカーこそ人生なのだ。ある朝、夫が遅くなるから先に寝ているよう告げて家を出た。その日の午後、スーパーマーケットで買い物をしていると、夫が心臓発作で倒れたという連絡を受ける。収容先の病院に向かうと、医師(Johanna Westfelt)からどちら様かと尋ねられる。妻だと名乗ると、困った表情を返される。夫にはキャミラと名乗る女性が付き添っていた。自らが妻であることを告げ、キャミラを退出させると、ブリット=マリーは夫のシャツを洗濯のために取り出す。何を言えばいいか分からないという夫に、分からないなら何も言う必要はないと告げて帰宅する。洗濯をし、結婚指輪をテーブルに置くと、荷物をまとめてホテルへ向かう。10歳の頃、旅行で悲しい思いをして以来、旅行することなど無かった。職業安定所で対応に当たったアンナ(Vera Vitali)から前職を聞かれ、40年前のウェイトレスと答えると、男女を問わずその年齢では紹介できる仕事はないが、ボリという村のユースセンターの管理人の仕事ならあるという。サッカーチームのコーチを兼ねているが大丈夫かと問われると、人生の半分はサッカーだったと答え、採用が決まる。高速バスに長時間揺られてたどり着いたボリの村。ユースセンターの建物は落書きだらけで、中は荒れ果てたカオスであった。とりあえずソファで眠ったブリット=マリーは、翌朝から散乱した物を片付け、モップをかけ、センターの建物内に秩序を取り戻していく。ところが窓ガラスが割れる音が響く。子どもたちがサッカーボールで割ってしまったのだ。買い物に出かけている間にガラスの破片を片付ければボールは返すと言い残し、高速バスの発着所にある雑貨店に向かう。店主のメフメット(Mahmut Suvakci)はボリFCのコーチの後任がブリット=マリーだと知って驚く。ブリット=マリーが窓ガラスの修理を依頼できるところを尋ねると、ガラスでも水漏れでも何でも請け負うと、サミー(Lance Ncube)という若者を遣わす。センターに戻ったところ、広場では子どもたちが別のボールでサッカーに興じていた。試合が近いから練習しなくちゃならないと、言いつけたガラス片の回収はしていなかった。サミーは注文したガラスが届くまでの仮修繕を行いながら、子どもたちの中に弟のオーマル(Elliot Alabi Andersson)、妹のヴェーギャ(Stella Oyoko Bengtsson)がいることをブリット=マリーに告げる。その後、子どもたちが練習で使用するコーンを探すと言ってせっかく片付けた部屋を荒らしたのに立腹したブリット=マリーは、子どもたちに自己紹介させるとともに、修繕費用200クローナ分の労働として、散らかした部屋の片付けと窓拭きとを命じるのだった。窓拭きに苦労しているヴェーギャを手伝っていたブリット=マリーは、窓や壁に書かれているのは単なる落書きだけではなく存在証明のタグもあって、自分にとってはサッカーがタグなんだとヴェーギャから告げられる。自分にとってのタグは何かを問われたブリット=マリーは、自分が10歳の頃(Ella Juliusson Sturk)、自分とは異なって夢見がちで自由な姉のイングリッド(Sigrid Högberg)から、パリでメイドに傅かれる生活をしようと言われていたことを思い出すのだった。
窓が重要な役割を果たしている。ブリット=マリー(Pernilla August)は外の世界に羽ばたくことの恐ろしさを幼い頃に植え付けられてしまった。自宅のガラス窓を部屋の中から磨く姿に象徴されている。そして、「想像力の無さ」で耐えてきた夫の浮気を、夫の発作を機に現実のものとして突きつけられたことは、サッカーボールによって割れた窓として描かれる。さらに、ヴェーギャ(Stella Oyoko Bengtsson)とともに建物の外から窓を磨くことで、外の世界で羽ばたくことが表現されていく。
警察官のスヴァン(Anders Mossling)がブリット=マリーに首っ丈な理由など、十分に描かれていないと感じられる部分が少なくなく、その部分を想像力で埋められるか否かがこの作品の好悪の判断に大いに影響する。
バンク(Malin Levanon)がほとんど目が見えない設定は何のためだったのか。
ボリFCは13歳未満なので7人制サッカー。"7 A Side"と言うらしい。
スウェーデン語はゲルマン語派だけあってドイツ語や英語によく似ている。原題"Britt-Marie var här"はドイツ語なら"Britt-Marie war hier"、英語なら"Britt-Marie was here"。ケント(Peter Haber)が仕事の電話でドイツ語を流暢に話しているシーンもあった。