展覧会『神の左手 悪魔の右手』を鑑賞しての備忘録
EUKARYOTEにて、2020年7月22日~8月9日。
東慎也の絵画と米村優人の彫刻とを紹介する二人展。間が抜けていながらわずかに毒のある絵画と、べらぼうな粗野と洗煉とが同居する彫刻とが、絶妙な組み合わせとなっている。
東慎也の絵画について
《olympian》は、立った姿勢から床に置かれたバーベルに手をかけた重量挙げする人物を描く。前掲姿勢の身体に対してシャフトへ垂直に降ろされる腕が異様に長いにも拘わらず、アンリ・マティスの描く人物のように、抜群の安定感を生み出している。臙脂の背景を含め、即興のように軽やかに筆を走らせている中、顔・右腕・左足の3箇所のみ厚塗りであることが、バランスをとりつつも緊張感を高めている。カリカチュアとしても単純と言える点と線とで表された顔からはしっかりと真剣な表情が読み取れる。それに対してバーベルに取り付けられたプレートが薄く非常に軽々しく描かれているのが、おかしみを誘う。
《Dead or alibe》は、一面水が広がる中に浮き輪で浮いている人物を描く。浮き輪の下、水中の下肢は4本描かれ、必死に足をばたつかせているようにも見える。だが、下腿と足との角度からすると、水底に足が着いているようにも見える。タイトルにある"alive"ならぬ"alibe"という見慣れない語は、あるいは"alive"と"alibi"とを掛け合わせた造語かもしれない。
《zombie in cage》は、檻の中にいるゾンビの姿を描くようだ。だが実はゾンビは檻の外にいるようにも見える。右手の輝きはスマートフォンを表しているようでもあり、街を徘徊する"Smartphone zombie"の揶揄とも受け取れる。
《Prometheus》は松明を両腕で構えたプロメテウスが横たわり、彼の身体を啄みに来たエトンであろうか、彼の上を覆うように悠々と天翔る巨大な白い鳥が描かれる。プロメテウスが掲げる炎に人間の扱い切れない原子力を見るなら、"Atoms for Peace"への諷刺とも解しうる。平和の象徴としてのハトが誇張されて描かれるのは、平和の名の下に原子力の危険性を覆い隠すことに対する糾弾と捉えられるからだ。
米村優人の彫刻について
《AGARUMAN(R&P)》は、断面に施されたピンクが内蔵の印象を効果的に生むトルソと、それを支える自転車のフレームのような鉄の造型による台座との関係が強い印象を残す作品。
《AGARUMAN(BOTH HANDS)》は、石膏による巨大な手。大雑把でかつ巨大であることがべらぼうな力を生んでいる。作品に対してか細い印象の黒い鉄で支えていることも、べらぼうさを強調するのに一役買っている。
壁から延びる折れ曲がった鉄がその先にある彫刻を支えている《COCKPIT》では、作品そのものより、それを展示するための鉄の長さのべらぼうさが印象に残る。
《CHAMPION AGARUMAN》は頭蓋骨のような頭部とその台座のような身体、そしてその脇侍かのように棒の刺さったライオンの頭部らしきものが床に並べられている。粗雑にも見える身体表現、脳天を突き刺す棒の持つ切れ味の良さを、床に置くことで強調しているようだ。