映画『きっと、またあえる』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のインド映画。143分。
監督は、ニテーシュ・ティワーリー(नितेश तिवारी)。
脚本は、ニテーシュ・ティワーリー(नितेश तिवारी)、ピユーシュ・グプタ(पियूष गुप्ता)、二キール・マルホトラ(निखिल मल्होत्रा)。
撮影は、アムレンドゥー・チョーダリー(अमलेन्दु चौधरी)。
編集は、チャル・シュリ・ロイ(चारु श्री रॉय)。
原題は、"छिछोरे"。英題は、"Chhichhore"。
1990年代のインド。最高学府・インド工科大学ムンバイ校。その第4学生寮のアニルード(सुशांत सिंह राजपूत)の部屋にセクサ(वरुण शर्मा)が押しかけてくる。セクサは鬱憤を晴らすために誰かに水をかけにいこうと持ちかける。話に乗ったアニはまずはセクサにバケツの水をぶちまける。二人の水の掛け合いは、すぐさま第4学生寮の寮生を巻き込んだ大騒動となり、いつしか皆でエリート学生が集まる第3学生寮を襲撃することになる。
それから数十年。アニはエンジニアとして成功し、高級アパルトマンで、大学入試の合格発表を控えた息子のラガフ(मोहम्मद समद)と暮らしている。ラガフは試験で失敗したとの不安に駆られ、毎晩のように友人のモヒト(गौतम गोपाल आहूजा)に電話をしている。ラガフは、父に、母のマヤ(श्रद्धा कपूर)のもとへ連れて行ってもらう。アニとマヤとはインド工科大学ムンバイ校の同期で学生時代から交際した末に結婚したが、2年前に離婚していた。アニは料理が多かったら包んでもらえとラガフに伝え、マヤに顔を見せずに立ち去る。息子を迎えたマヤはアニの好物であるオクラを用いた料理をふんだんに用意していた。その晩、ラガフからマヤの料理を受け取ったアニは、ラガフに綺麗なピンク色をしたシャンパンのボトルを示す。合格したら祝いに一緒に空けようと息子を励ます。発表当日、自分では発表を見ることができないラガフは、モヒトにサイトで合否を確認してもらう。ラップトップのディスプレイには、次回に期待するとの文字が。ラガフは自ら受験番号を入力して再度確認するが、やはり不合格だった。父母の母校に合格できず、「負け犬(looser)」の烙印を押されてしまったと嘆くラガフは、ベランダにふらふらと出て行き、手すりにもたれかかっていたが、モヒトが声を上げる間もなく、背面から落下してしまう。モヒトから連絡を受け、搬送先の病院に駆け付けるアニ。マヤは私といればこんなことにはならなかったと嘆く。マヤに責められたアニは納得できないが、息子が自殺を図ったことは厳然たる事実であった。ラガフはそれでも一命を取り留める。主治医のミシュラ(कमाल मलिक)が両親を前に説明する。開頭して血腫は取り除いたが、脳の複数箇所に損傷がある。投薬により腫れを抑えるが、場合によっては再手術も必要となる。恢復する患者もいないわけではないが、患者本人の生に対する意欲の寄与が大きい。懸念材料は、ラガフ君に生きる意志が薄弱なことだ。アニは息子に生きる気力を取り戻させようと、意識のない息子に語りかける。私こそ「負け犬」だったんだ。アニは入学当初から学生生活を説き起こすのだった。
アニルード(सुशांत सिंह राजपूत)の学生時代の奮闘と、息子のラガフ(मोहम्मद समद)の闘病とがぴったり重ね合わされ、時代を行きつ戻りつしながら物語が進行する。アニルードの仲間たちが青年時代と現在の姿の二役を兼ねて登場し、エンディングの集団舞踊では見事な「共演」を果たしている。
理系の最高学府の学生というエリートが「負け犬」として登場するところが、この作品の味噌。彼らの姿を通して、ラガフに象徴される人生の敗残者(を自認する者)へメッセージが送られる趣向。
理工の学習・研究に関する描写は限りなくゼロに抑えられ、もっぱら学生寮での青春を描いているため、どんなに理数に疎くても安心して鑑賞できる。
インド映画『きっと、うまくいく(३ ईडियट्स)』(2009)に触発されて『きっと、またあえる』という邦題が考え出されたのだろう。本作の原題は、レディー・ガガとブラッドリー・クーパーがデュエットしそう(?)。