可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 久野彩子・八木夕菜二人展『都市の輪郭』

展覧会『都市の輪郭―久野彩子・八木夕菜』を鑑賞しての備忘録
日本橋髙島屋〔美術画廊X〕にて、2020年9月16日~10月5日。

久野彩子のロストワックス鋳造技法による金工と、八木夕菜のガラスやアルゴリズムにより変容を加えた写真とを紹介。

久野彩子の《transform-hemisphere-》は、円や四角や文字が刻まれた数多くの部品が組み合わせって半球状を成したもの。一方では、映画『エリジウム(Elysium)』(2013)に登場するスペースコロニーエリジウム」や、映画『アリータ: バトル・エンジェル(Alita: Battle Angel)』(2019)に登場する空中都市「ザレム」といった、SFに登場する未来都市のイメージを招き寄せる。また、他方では、ラストベルトのうち捨てられた工場の雰囲気を醸し出す。未来と過去の融合した独特の世界を立ち上げている。問題は、半球(hemisphere)という形態が、かつての球(sphere)から変容し(transform)たものなのか、あるいはこれから球へと成長していく過程なのかである。

 一方「球」という形態も1939年のペリスフィアに続き、意味あいこそ違うが1964年のニューヨーク万博では「ユニスフィア」と名付けられた大きな地球儀上の構築物となって姿を現す。いや1900年のパリ万博にもすでに巨大な地球儀が登場していた。これもバ万国博覧会という主旨からいえば、「グローバリズム」の象徴として造られたものに相違ないが、それでもこうした球体構造物の頻出に18世紀のいわゆるヴィジオネールの建築家の球体建築、あるいはグローバル・イメージの流行と重ね合わせてみないわけにはいかない。
 18世紀フランスに現れた一種、奇妙な建築を目指した幾人かの建築家を今日では総称して〈ビジオネール〉の建築家と呼ぶ。マガロマニアックな建築を夢想し「ニュートン記念堂」という球状の建築物を構想したエティエンヌ=ルイ・ブレー。ロココの装飾の時代に簡潔な、それこそ1960年代のモダーン・デザインのような球体の「畑番の家」のデッサンを残したクロード=ニコラ・ルドゥー。(略)あるいは地球儀のような建築のスケッチを残したローラン・ボードワイエル。これらの寄贈的な建築家はその奇妙な建築を残すことも少なく、仕出しに忘れられていったが、1930年代にエミール・カウフマンらの研究によって再評価がなされた。(略)
 18世紀に夢想された一群の球体建築を分析し、そこにグローブ(地球儀)状の構築物の流行があったことを結びつけたのは三宅理一氏の研究『エピキュリアンたちの首都』だった。コペルニクスケプラーの地動説や大航海時代以降のヨーロッパ世界の拡張によって17世紀には地球儀や天球儀の製作が盛んになり、18世紀のニュートンの流行はそれをさらに加速させ、地球の形態を模した建築物やモニュメントを流行させてゆく。『エピキュリアンたちの首都』に書かれたこの経緯は、きわめてスリリングなものだ。かつて高山宏氏が、その諸著作で西欧18世紀のキーワードとして読み解いた「啓蒙」「百科全書」「円環知」「博物学」「ピクチャレスク」といった言葉のすべてが、この地球儀形態の流行にも関わってくるのである。高山氏もいうように「世界を識る」という行為がこの世紀を特徴づけるものであり、それは造形物にも発現されていったわけである。
長澤均『パスト・フューチュラマ 20世紀モダーン・エイジの欲望とかたち』フィルムアート社/2000年/p.50-52)

パラダイムが造形物に姿を表すなら、ちょうど2010年代の映画に登場する「エリジウム」や「ザレム」が、ゲーテッドコミュニティを、ひいては富裕層を象徴するように、《transform-hemisphere-》は分断された社会の表現と言える。もっとも、作家の古道具を用いたシリーズでは、真鍮などをの部品が古い器物の一部に植物か菌類のように蔓延り、修復や再生を感じさせる表現が展開されている。

八木夕菜の《Anonymous_B》は、ヴァルター・グロピウスが設計したバウハウス・デッサウ校の外観を捉えた写真。校舎のグレーの壁面に設置された縦書きの"BAUHAUS"のロゴの位置に直方体のガラスが載せられており、上方の底面にはロゴが見えるものの、脇から眺めると下方の底面にロゴを見ることは出来ない。ロゴを剥奪すること、すなわち匿名化することで、建築物自体に鑑賞者の目を向けさせる。有名作家などの「ブランド」に踊らされて実物を見ようとしていないと鑑賞者を挑発するのだ。額装されているとは言え、作品自体を床に置いてしまう展示法にも、作者の固定概念を打破する気概が表れている。ホテルオークラ東京のロビーなどの写真では、アルゴリズムを用いて改変を加えている。写真の改変に違和感を覚えるなら、photography=光画を「写真=真を写す」と捉える病気に罹患している証拠だと診断を下されるだろう。