可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『新・今日の作家展2020 再生の空間』

展覧会『新・今日の作家展2020 再生の空間』を鑑賞しての備忘録
横浜市民ギャラリーにて、2020年9月22日~10月11日。

1階展示室で地主麻衣子の映像作品4点を、地下1階展示室で山口啓介の絵画と関連作品・資料を展示。

地主麻衣子
メキシコシティの探偵》は、メキシコシティの街頭のカップルの姿を作家の同地在住の友人ネメ・アランス・ルイス(Neme Arranz Ruiz)がスマートフォンで隠し撮りした映像と、作家が後日現地を訪れて撮影した映像とを交互に組み合わせたもの。前者は縦長の画面で、後者は横長の画面で表される。また、後日撮影した映像にだけ、ロベルト・ボラーニョ(Roberto Bolaño)の詩「電動まぶたの世代/アイルランド女 No.2 サンヒネス星座(Generación de los párpados eléctricos / Irlandesa No 2 Constelación Sanjines)」(「電動まぶた(párpados eléctricos)」はフィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の「電気羊(西語:ovejas eléctricas)」の影響?)から抜粋した言葉がクリスチャン・ペーニャ(Christian Peña)の美しい朗読によって重ねられている(日本語・英語字幕あり。なお、字幕を正確に記憶していないため、以下で紹介する詩の日本語訳は、作品中の訳とは異なる)。「オレンジ色の光輪(halo de luz naranja)」と沈み行く太陽に擬えた元恋人に対するボラーニョの愛惜が謳われた詩である。何度か繰り返される「[優れた]詩人になれた(pudo haber side una [gran] poeta)」が恋人に対して悔悟を迫るように訴えられる。とりわけ、脚韻を踏んでいる「優れた詩人になれた/最も深い愛情を注いだ/愛する女/僕が(pudo haber sido una gran poeta / la más amorosa / amada / mia)」と結ばれる結末が悲痛。途中、"se mecerá se mecerá"は発音(セメセラ・セメセラ)からも風にそよいで揺れる感じが伝わって面白いけれども、「彼女の白い身体が揺れる揺れる/男根が膣をこじ開けている間揺れる揺れる(su cuerpo blanco se mecerá se mecerá / mientras un falo va abriendo su vagina se mecerá se mecerá)」と詠われていて、ここでの「揺れる」とは、肉と肉とがぶつかり合うときに生じる揺れに当てられているらしい。スマートフォンの映像に捉えられた睦まじげに歩くカップルや抱擁するカップルの姿を、作家の後日撮影した映像では目にすることができない。時間を隔てているのだから当然ではあるが、恋人が去らずに済んだ可能性を詠うボラーニョの詩を組み合わせることで、かつてその場にいた彼/彼女らが存在する可能性またはパラレル・ワールドに思いを馳せることになる。また、後日の映像では、一人でいる人物ないし群衆に焦点が合わせられているために、バラバラに行き交う都市の雑踏の中で結ばれたカップルの奇蹟が浮かび上がることにもなる。
《わたしの友達》は公民館のような場所で音楽に合わせて踊る女性を間近で捉えた映像。映像を流しているモニター自体も音楽に合わせるように揺れ(mecerse)て楽しい。途中、カットされたスイカや煉瓦(?)、水平器がモニター同様の動きをするシーンが珍妙に挿入されるのも愉快。だが表面的には楽しげな作品が描くのは世界の現状だ。世界が揺れ(mecerse)ている。皆が揺れを共有している。それは、新型コロナウィルスの蔓延によるものだ。あらゆる計画が画餅(モニターのスイカ)となり、友人との関係も「モニター」を介さなければならない状況が生じた。あるいは、格差ないし差別(「水平器」の揺れ、「壁」の存在)がより明らかになった。危機ではある。だが、それがゆえにこそ、グローバリゼーションを切実に感じさせることにもなった。
《Lip Wrap / Air Hug / Energy Exchange》は作家による自作詩の朗読に、詩の言葉とわずかなドローイングのアニメーションを組み合わせた映像作品。誰かとエナジーを交換したいという欲望などが作家の柔らかな声とイラストレーションによって軽やかに描かれる。口腔から流れ出る「不都合なもの」を防ぐラップフィルム「キスのためのコンドーム」は唇を輝かせ身につける人をよりゴージャスに見せるかもしれないが、舌の動きを抑えて言語によるコミュニケーション言葉を難しくするだろうなどという発想が面白い。そよ風にそよぐ(mecerse)ようにエクスタシーを感じられたらという願望は、《メキシコシティの探偵》の"se mecerá se mecerá"から《わたしの友達》を経由して流れ込んで来るようだ。