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芸術鑑賞の備忘録

映画『罪の声』

映画『罪の声』を鑑賞しての備忘録
2020年製作の日本映画。142分。
監督は、土井裕泰
原作は、塩田武士の小説『罪の声』。
脚本は、野木亜紀子
撮影は、山本英夫
編集は、穗垣順之助。

 

2018年。京都市内に店を構える「テーラー曽根」。流行に流されないブリティッシュ・スタイルのスーツをオーダーメイドで制作している。父・曽根光雄(尾上寛之)の創業した店の看板を、息子の曽根俊也(星野源)が守っている。俊也がアイロンがけをしている傍で、妻の亜美(市川実日子)が幼い娘の詩織(朝日湖子)とツリーの飾り付けをしている。電飾のコードが古くなって点灯しないらしい。亜美が買って来ようというのを制して、俊也は仕えるコードはないか家の押し入れを探してみる。帽子用の円形の紙箱に「光雄」と書いた紙が貼ってあるのが目に留まった。年代物の道具や自分が子供の頃遊んでいたプラスティック製の車のミニカーが入っていた。懐かしい玩具を詩織に渡してやる。「1984」と書いたカセットテープと黒い革の手帳がビニール袋に入っているのが気になった俊也は、夜中、カセットデッキを取り出して再生してみる。懐かしい歌を歌う少年時代の自分の声に微笑んでいると、突然「キョウトヘ ムカッテ イチゴウセンヲ ニキロ」というメモを読み上げるようなたどたどしい自分の声が聞こえ、それが終わると再び歌声に戻った。手帳には英語で詳細な記録がとってあり、中に「GINGA」と「MANDO」という有名製菓会社の情報がメモされていた。ギンガ・萬堂事件。胸騒ぎがした俊也はインターネットで事件を検索する。1984年3月にギンガ社長の略取事件に始まり、「くら魔てんぐ」を名乗る犯人グループから食品会社数社に現金を要求する脅迫状が届き、青酸ソーダの付着した菓子が撒かれた。警察には捜査を揶揄する内容の挑戦状までも送りつけられた。犯人グループの逮捕に至らないまま事件は全て時効を迎えていた。ギンガ、又市食品、ホープ食品に現金を要求した事件では、現金の受け渡し場所を指示する電話のメッセージに女性や男の子の声が用いられていた。ネットに公開されていたホープ食品への電話に用いられた音声を聞いた俊也は慄然とする。「1984」のテープの音声と完全に一致していたのだ。父の代から頼りにしている縫製職人の河村和信(火野正平)に手帳について意見を求める。すると、学生運動に傾倒していた伯父の達雄のものではないかと指摘される。入院中の母・真由美(梶芽衣子)を見舞った際、俊也は伯父について尋ねる。父の葬儀でも話題に上らなかったからね。阪神パークレオポンを見に連れて行ってもらったにも忘れたのかい。家でアルバムを開くと、阪神パークで撮影した自分の記念写真があった。
大日新聞大阪本社。阿久津英士(小栗旬)が自分のデスクで映画評の記事を執筆している。手堅くまとめ昼食に出ようとしたところへ社会部の水島洋介(松重豊)がやって来る。ギンガ萬堂事件の特集記事の取材に手を貸して欲しい。自ら望んで文化部へ異動となったものの、阿久津はかつて東京本社の社会部に配属されていたのだ。阿久津は、ギン萬事件取材班を取り仕切る鳥居雅夫(古舘寛治)に、既に時効になってしまった35年も前の事件を掘り返す意味なんてあるのかと尋ねる。時を重ねた今だからこそ苦しくなって口を開く人間がいるかもしれないだろ。阿久津はイギリスに飛ぶ。ギン萬の前年にオランダで社長誘拐事件があり、犯行グループはそれを模倣した可能性があった。当時、捜査当局にマークされるほど事件を嗅ぎ回る中国人がいたといい、彼と親密だったという元ジャーナリストの大学教授にも当たるが、めぼしい情報を得ることはできなかった。帰国した阿久津は、証券に通じている立花幸男(堀内正美)に取材を申し込む。犯行グループは要求した現金を手に入れることに悉く失敗しているため、株式で利益を得た可能性があった。怪文書をマスコミにばら撒くことで脅迫先企業の株価を下げ、空売りで儲ける仕組みの説明を立花から受けた阿久津は、匿名を条件に仕手筋の大物(塩見三省)を紹介してもらう。空売りには金主から資金を融通してもらわねばならんが、返済の負担が大きい。利益を出すのは簡単ではないよ。下手を打てば姿が見えなくなってしまうしね。金主が永田町界隈である可能性を指摘された阿久津は、この方面からの取材が暗礁に乗り上げたことを悟る。

 

偶然、未解決事件の脅迫テープの音声が自分の声だと知ってしまった曽根俊也(星野源)が、事件に伯父が関わっていることを知って、伯父の関係者を洗い出すことで事件を探り始める。一方、発生から35年を機に同事件の特集記事を組むことになった新聞社の記者阿久津英士(小栗旬)も様々な方面に取材を行い、脅迫テープの声の主である曽根俊也にたどり着く。
事件に加担させられてしまったことで運命を狂わされてしまった少年・少女の姿を軸に、弱者が虐げられる社会の歪さを描き出す。時効を迎えた未解決事件を報道する報道機関。事件を解決できなかった捜査機関。「大義」のために犯行に関わった者たち。関係者が多数登場する複雑な事件を的確に描き出すプロットは見事。阿久津が取材対象者である俊也たちの側に身を置くようになるように、鑑賞者もいつしか「被害者」たちの側に立っていることに気が付く。脚本家・野木亜紀子への期待が裏切られることはなかった。あらゆる人にお奨めできる作品。
生島総一郎(宇野祥平)の登る踏み台(全てを終わらせるため)と曽根俊也(星野源)の登る踏み台(娘のため)、生島望(原菜乃華)の英語(映画翻訳者となる夢=未来/アメリカ英語)と曽根達雄(宇崎竜童)の英語(古書店=過去/イギリス英語)の対照が鮮烈で痛いほど。
(以前、久米宏が紹介していていつか読みたいと思っていた)原作は未読だが、「現在」を「ある時代」の終わりにするために、原作の「現在」とは若干ずらしているようだ。「ある時代」の終わりを焦点化している作品としては、(本作品よりは刺激が強めなので少々見る者を選ぶが)青山真治監督『共喰い』(2013)をお薦めしたい(篠原ゆき子は両作品に出演)。
出演者が皆素晴らしい。松重豊古舘寛治堀内正美橋本じゅん火野正平塩見三省が印象に残る。宇野祥平原菜乃華の二人は主演二人とともにこの作品の屋台骨となっているのではないか。
Uruの『振り子』という主題歌は、予告編から強く響いた。「網戸」、「雑巾がけ」といった言葉の選択、散文に近い言葉を句切り方で詩に持って行ってしまうような歌い方が興味深い。「我武者羅に走った汗を/ただの塩にしてきた人生も」という表現には唸らされる(なお、『新約聖書』「マタイによる福音書」第5章第13節には「地の塩」という言葉も)。