可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 若宮綾子個展

着彩したベニヤ板を箱形に組み合わせたバラックのような作品で構成される若宮綾子の個展。

板の表には、長い直線、短い直線、小さな丸い穴など、個々の面ごとにある程度統一された彫りによる模様が刻み込まれている。緑を基調に様々な色彩が施され、個々の面が豊かな表情を持っている。それはどこか森のイメージを呼び起こしもする。それらの板が一応は直方体として組み合わされている。もっとも、それぞれの板の角は必ずしも90度というわけではない。また板と板とは垂直ではなく斜めに組み合わされいるために引っ込んだりはみ出したりしている。このような歪な箱が壁面に飾られている。雑な組み合わせ方やばらつきが仮設の小屋(バラック)の印象を生んでいる。連想されるのは、ブリコラージュである。

 ブリコラージュ(bricolage)は、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースの著書『野生の思考』で有名になった言葉である。ブリコラージュは、辞書でひくと①素人仕事、大工仕事、②やっつけ仕事、③手間仕事とあるように、「あらゆる種類の手間仕事をして生計を立てること、応急につくりかえたり、修繕したりすること」である。ブリコレ(bricoler)という動詞は、古くは球技や馬術に用いられ、ボールがはねかえるとか馬が障害物をさけて直線からそれるというような、非本来的な偶発運動を指した。これらをまとめるとブリコラージュとは、ありあわせの道具材料を用いて、その場その場で本来予定されていなかったものを偶然生み出すことを指す。
 (略)
 ブリコルール〔引用者註:bricoleur。ブリコラージュする人。器用人〕の用いる資材集合は、単に資材性あるいは道具として役に立つという潜在的有用性によってのみ規定される。ブルコルールは、資材性つまり「まだ何かの役に立つ」という潜在的有用性を「もの」の中に見出すのだが、それは、「もの」(素材)が、明確に限定された用途のためにとっておかれたのではなく、同じようにとっておかれた他の「もの」や周囲の環境との具体的な関係の中で、あらたな役割が発見されるということである。そしてあらたな役割が見出されるためには、細かな点に至るまで「もの」の特徴に気付いていることが大切である。それを可能にするのがブリコルールのあくなき知的探究心である。
(出口顯「今日のブリコラージュ」奥野克巳・石倉敏明編『Lexicon 現代人類学』以文社/2018年/p.30-31)

作家が制作に用いる板は、エリック・カールの色紙のように事前に彩色してストックされた類のものではないであろう。まして周辺に偶然あったものではない。むしろ周到に熟慮された上で制作されたものだろう。ブリコラージュとしての性格は、バラック的な形態が引き起こすイメージではなく、むしろ作家の制作姿勢に見出せると考えられる。作家は、過去にストッキングのような光沢と透過性のある生地を表面に重ねた様々な形の立体作品を制作しているが、おそらく「彫刻」として呈示しようとしたものではない。いかに絵画の表面を作り、その表面を見せるか、あるいは表面を変化させるかに主眼があるはずだ。絵画の表面を見せるために使えるもの、変化を生み出せるものとして役立ちそうなものを作品に取り入れること。そこにこそ作家(作品)のブリコラージュ的性格がある。本展の作品も含めベニヤ板のシリーズも、表面をいかに見せるか「あくなき知的探究心」が生んだ「絵画」なのだ。