可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『おもかげ』

映画『おもかげ』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のスペイン・フランス合作映画。129分。
監督は、ロドリゴ・ソロゴイェン(Rodrigo Sorogoyen)。
脚本は、ロドリゴ・ソロゴイェン(Rodrigo Sorogoyen)とイサベル・ペーニャ(Isabel Peña)。
撮影は、アレックス・デ・パブロ(Álex de Pablo)。
編集は、アルベルト・デル・カンポ(Alberto del Campo)。
原題は、"Madre"。

 

北大西洋に面した海岸。誰もいない、なだらかな砂浜。右手には草がまばらに生えた砂丘が中央奥に向かって延びている。左手には海がやはり中央奥に向かって広がり、静かに波が打ち寄せている。水平線は低い位置にあり、空は雲が覆っている。
マドリード。エレナ(Marta Nieto)の住まいに母(Blanca Apilánez)がやって来る。ずいぶん早かったのね。急がないと混むわよ。まだ着替えていない。扉くらい閉めなさい。私の家でしょ。冷えた水をもらうわね…無いのね…夕食はどうするの? 予定がある。誰と? 知らない人よ、友達。あの人とはどうなってるの、格好いい人いたでしょ? 彼には恋人いるから。エレナのスマートフォンが鳴る。別れた夫のラモン(Raúl Prieto)に連れられてバスクとフランスを旅行している6歳の息子イヴァン(Álvaro Balas)からだった。元気? どこにいるの? 海。サーフィンでもするのかな。パパは? いない。一緒じゃないの? すぐ戻るって言った。パパはどこへ行ったの? 森を通って車に玩具を取りに行った。どれくらい前? 分からない。周りに誰かいる? 誰もいない。海に来るまでに家や店はあった? 覚えてない。何て言う場所? 分からない。電話を切らないでね。画面の上に小さな線がいくつ並んでる? 1つ。母親にラモンの友人に電話をかけさせるがつながらない。母親にイヴァンとの通話を任せて、エレナはラモンと親しい女性の電話番号を調べて連絡する。ラモンと一緒じゃなかった? ラモンと出かけた息子が迷子になったの、何かあったらすぐ知らせて。イヴァンとの電話が途切れる。エレナは警察に連絡しスマートフォンの番号を伝えて所在を調べて欲しいと頼むが、署に来て捜索願を出してもらわないと引き受けられないとの一点張り。再びイヴァンから通話が。周りに誰かいる? 男の人がいる。おしっこしてる。僕を手招きしてる。こっちに向かってくる。森の中に逃げなさい。かけっこ得意でしょ? イヴァンが駆けている音が聞こえる。もしそばまで来たらパパとママと近くにいるって言うのよ。電話が切れる。エレナがカバンに必要なものを投げ入れて慌てて家を飛び出す。場所も分からずにどうするつもり? 何かしないでいられない!
エレナの家。イヴァンの描いた絵が白い壁に貼られている。部屋で待っていた母が、沈痛な面持ちで、エレナを迎え入れる。
10年後。フランス南西部、ヴュー・ブコ・レ・バン。浜辺を行き交う人々の中にエレナの姿があった。夏のサーフィン・スクールの生徒の一団がジョギングをしている。集団から遅れて走っている少年(Jules Porier)を目にしたエレナは、その姿を追わずにいられなかった。エレナはイヴァンが消えた海岸に移り住み、浜辺のカフェの雇われ店長をしていた。

 

6歳の息子を失ったスペイン人のエレナ(Marta Nieto)が、息子が消えたフランス南西部の海岸に移り住む。浜辺のカフェで仕事をし、海岸を散策し、家に帰って眠る。その単調な生活の繰り返し。地元の人たちからは子供を失って正気を失ったスペイン人と目されている。10年が経過したある日、息子が生きていたらこんな感じだろうという少年ジャン(Jules Porier)を見かける。エレナはジャンに息子の面影を見る。エレナに注目されていることを知ったジャンは、エレナに恋愛感情を抱く。エレナは「母」のようにジャンに接するが、ジャンの慕情に次第にほだされていく。ジャンと別れたが縒りを戻したがっているキャロリヌ(Lou Lampros)のエレナに対する眼差しによって、エレナが恋敵であること、エレナがジャンに恋愛感情を抱いていることが照らし出される。
無味乾燥な繰り返しとしての10年間が、ジャンと出会ったエレナの行動に大きく作用するものとして利いている。この10年間が直接描かれることはないが、冒頭の無人の海岸のシーンが明快に象徴している。
Marta Nietoが、息子イヴァンの喪失と息子のようなジャンとの関係に揺れる、張り詰めた神経が切れて儚げな女性を見事に演じている。
美しい女性と少年の恋というオブラートに包まれているが、ジャンの家族の「反応」によって明らかにされるように、危うい恋路である。性別を入れ替えると問題の所在がよりはっきりするかもしれない。母親と義理の息子との恋愛を描いた作品には、メイ・エル・トーキー監督の『罪と女王』(2019)がある。
ジャンがスペイン語を学んでいて簡単なことなら話せる。そして、ジャンがエレナに別れの挨拶をするときは必ずスペイン語なのだ。エレナを「心を病んだスペイン人」(余所者)として扱わず、受け容れる存在であることが明確に示されている。
映像とセリフとをずらすことで、エレナとジャンが心で通じ合うように見せる手法が印象に残った。
邦題は難しい。ひらがな4文字の題には独特の雰囲気があって、それが本作品にはしっくり来ないようだ。
行方不明になった息子を探し続ける母親を描いた作品としてキム・スンウ監督の『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』(2019)、息子を支配して操る母親を描いた作品として大森立嗣監督の『MOTHER マザー』(2020)がある。