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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『大東京の華 都市を彩るモダン文化』

展覧会『大東京の華 都市を彩るモダン文化』を鑑賞しての備忘録
江戸東京博物館〔5階企画展示室〕にて、2020年8月25日~11月23日(①8月25日~9月27日、②9月29日~10月25日、③10月27日~11月23日)。

文明開化の時代を紹介する「プロローグ:近代、東京の幕開け」、明治末から大正にかけての都市文化を紹介する「第1章:ひろがる大衆文化」、関東大震災から復興を遂げた都市の姿を紹介する「第2章:よみがえる都市、大東京」、昭和初期の都市風俗を紹介する「第3章:華開くモダン文化」の4部構成。

【プロローグ:近代、東京の幕開け】
第一国立銀行(旧三井組ハウス)(歌川国輝(2代)《東京名所海運橋五階造真図》①など)や新橋駅(小林清親《新橋ステンシヨン》③)、さらに銀座煉瓦街(歌川広重(3代)《東京名所之内 銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図》①など)など、明治初期に現れた西洋式の建築物を錦絵で紹介する。また、人々の装いも西洋のスタイルが導入されたことが示される(楊斎延一《大日本美術展覧会》②、橋本周延《新皇居御祝宴之図》③など)。「鹿鳴館スタイル」と呼ばれたバッスル・スタイル(スカートの後ろの腰の部分にボリュームがある)のドレス(橋本周延《東風俗福つくし「洋ふく」》①②など)については実物を展示。洋装に伴う女性の髪型の変化を伝えるヘアカタログ(《婦人束髪会》、《束髪図解》など)も興味深い。

【第1章:ひろがる大衆文化】
ポスターや広報誌を通じて三越呉服店を紹介。波々伯部金洲が描いた三越のポスターに描いた「元禄風俗美人」(1907)のスタイルは三越が打ち出してブームになったものらしい。三越は1914年に日本初のエスカレーターやエレベーターを備えたルネサンス様式の新館を開業させた。杉浦非水の手がけた同店のポスターの女性の衣装は和装(「春の新柄陳列会」(1914)。但し、背景の額絵にはワンピース姿の女性が)から洋装(蝶の羽を背に付けたミニスカートの女性(1915))に変化している(蝶や鳥の羽をつけた人物のデザインも掲載された『非水図按集 第1輯』(1915)も展示。なお、非水は三越の広報誌『みつこしタイムス』も手がけている。「新案 家庭衣装あはせ」という附録も。御主人、奥様、御令息、御令嬢、坊ちゃん、御隠居、女中に合う衣装や持ち物を揃えるゲーム)。和装・洋装に関わりなくパラソルは美白のためにファッションに取り入れられた。明治中葉には白粉の鉛の有毒性が知られるようになっていたが、良質の無鉛白粉が開発されるのは1900年になってから。1900年に私製葉書の使用が可能になると、絵葉書がブームとなった。三越呉服店上野広小路松坂や呉服店といったデパートの他、二重橋楠公銅像日比谷公園(1903)、帝国劇場(1911)、東京駅(1914)、赤坂御所(1899)、靖国神社万世橋駅(1912)などが名所として絵葉書に採用されている。1911年、銀座に日本初のカフェ「カフェー・プランタン」が開業。和服に白いエプロンという女給のスタイルは1915年頃からという。大正期に竹久夢二などの表紙絵で流行したセノオ楽譜の展示も。1923年、フランク・ロイド・ライトの設計による帝国ホテルの新館が竣工。その落成披露宴の最中、関東大震災が起こる。

【第2章:よみがえる都市、大東京】
関東大震災からの復興計画の最終決定案『復興局公認 東京都市計画地図』、帝都復興記念画報(国民新聞附録)、川瀬巴水清洲橋の夕》①(清洲橋の意匠には山田守や山口文象が関与。《大東京絵葉書》にも「東洋一のモダン清洲橋」あり。なお、同絵葉書集には、石本喜久治設計の白木屋も所収)、藤森静雄《大東京十二景の内 十二月 雪の駿河台(神田区)》②(聖橋の設計は山田守)、小泉癸巳男《昭和大東京百図絵版画 第三十三景 本所・震災記念堂》①(震災記念堂は伊東忠太の設計)などで震災後の風景を紹介する。田園調布(藤森静雄《大東京十二景の内 三月 田園調布の春(大森区)》②)は震災前月に分譲を開始し、震災後郊外移住が進み発展した。吉田初三郎《目黒蒲田電鉄東京横浜電鉄沿線名所案内》には洗足、田園調布などが「田園都市」と呼ばれる新興住宅街として掲載されている。また、《東横百貨店包装紙(東横・目蒲線沿線図付)》では、路線図の駅に放射状に広がる田園都市の模式図が記されているのが興味深い。

【第3章:華開くモダン文化】
震災後、洋装化が進み、肌の色味を活かす欧米式の化粧法が広まる。また、紙白粉(練白粉を薄い紙に塗って乾かしたもの)、コンパクト、スティック状の口紅が普及。ボブスタイルやウェーブの髪型の普及。「皮膚の美を養ふカテイフード」のポスターに登場するモデルはトランプのマークの柄の和服を身につけているが、ウェーブをつけた洋風の髪型である。『婦人グラフ』(1924, 1926)には腰を締め付けないワンピースなどが紹介されている(ココ・シャネルがジャージー生地を用いて女性をコルセットから解放して約10年)。着物、ショール、日傘、スーツ、帽子、眼鏡などファッション・アイテムや、師岡宏次による銀座で撮影した写真によって、当時の人々の生活を紹介。

東京都庭園美術館で開催された『東京モダン生活ライフ 東京都コレクションにみる1930年代』と共通性のある企画。もっとも、アール・デコの時代をテーマとした『東京モダン生活ライフ』展と比較して、『大東京の華』展はテーマがぼやけているとの印象が拭えない。例えば、明治以降の女性のライフスタイルに焦点を合わせて、テーマを明確にしても良かったのではないか。