可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 石川佳奈個展『まちがう手 ぶれる指』

展覧会『石川佳奈「まちがう手 ぶれる指」』を鑑賞しての備忘録
BUoYにて、2020年12月11日~17日。

手に纏わる映像作品を中心とした石川佳奈の個展。

《東京雑草採取2020(特別区編)》(2020)
丸の内中央広場の地面から東京駅の駅舎を臨む。掲げられた日の丸の旗が風にはためいてる。画面に手が現れ、傍に生えている草を引き抜く。その後、同様に、交差点で、歩道で、工事現場で、1つずつ草が毟られていく。日を求めて高く伸びるもの、溝に身を隠すように生えるもの、草はそれぞれ形も生え方も様々。共通するのは、取り立てて顧みられることのないこと。街を行き交う人々と地べたを這う草とは同じ時間と空間とを共有しているにも拘わらず、あたかも異なる時空に所属するかのように映る。遠くにいた老人が次第に近づき、目の前にその靴が現れ、2つの世界が結び合わされることで幕を下ろす構成が秀逸。これ以上(否、以下か)はない下から目線で現在の世界を切り取っている。映像が投影される壁は換気扇や配管が剥き出しで、地べたで展開される無言劇に似つかわしい。

《You had me at scrolling(スクロールを見ただけで虜になったよ)》(2017/2020)
地下鉄の駅で、電車の車内で、通りで、カフェで、人々がスマホに向かい、指を動かしている。作家も同様の姿勢・動作をとっているのだが、手にしているのはスマホではない。確かに作者も「画面」で「操作している(manipulate)」のではあるが、iPhoneのサイズの板に貼られたキャンバスに指で絵具を塗りたくっているのだ。アナログと言えばアナログである。スマホの類似物(analogue)であるのだから。もっとも、指(digit)で描画する以上、あくまでもデジタル・ペインティング(digital painting)なのだ。遠目には違和感なく空間に溶け込んでいる(ハチ公像に向けて「キャンバス」を向けるのは流石に目立つかもしれないが)。だが、絵具を塗る動作と絵具の匂いに感応するのか、近くにいる人が作家の手にするものを見てギョッとする(あるいは"You had me at scrolling"であるため、自らの手の画面に没入したまま気が付かない者もいる)。まるで脱臼した骨を元に戻す(manipulate)ように、作家はジョブズ以前の手の働きを回復する。"You had me at manipulating."。

《「どう生きたら良いのか(スペース)分からない」》(2018/2020)
山手線の各駅で「どう生きたら良いのか分からないんですが、どうしたら良いと思いますか?」との問いを見知らぬ人に投げかけた際の反応を捉えた映像作品。オンラインで不特定多数の人に悩み相談をするかのごとく、オフラインでインタヴューを試みたという。確かにインタヴュアーもインタヴュイーも、山手線(Yamanote Line)から降りた乗客であるため、ともにオフライン(offline)状態である。目白駅では、どこの国の人なのかという問いが取材対象者から発され、作家が日本人だと答えると、「日本人なら分かるでしょ」との回答を得る。このやり取りに、「"和"を以て貴しとなす」同調圧力の「わ(=私)」の国(かつて中国の王朝から「倭」の字が充てられた)が象徴されている。山手線という「輪」が引き起こす電磁力。フレミングの左手の法則が示すように、導体に働く力の方向は同じ(親指)になる。

つい触りたくなる表面を持つフライヤーも魅力的。