可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『Public Device 彫刻の象徴性と恒久性』

展覧会『Public Device 彫刻の象徴性と恒久性』を鑑賞しての備忘録
東京芸術大学大学美術館〔陳列館〕にて、2020年12月11日~25日。

公共彫刻について、作品そのもののみならず、ドローイングやマケットなどを通じて制作過程を示し、あるいは彫刻が果たすメディアとしての役割に着目することで、「公共」と「彫刻」の可能性を探る試み。小谷元彦と森淳一の企画。キュレーターは小谷元彦、共同キュレーターは小田原のどか。

本展の起点の1つとなる、菊池一雄の《平和の群像》のマケット。三美神の系譜に連なる意図が透ける、3人の裸体の女性像から成る彫刻。かつて北村西望《寺内元帥騎馬像》のために作られた台座に設置された(1951)。「軍国日本から文化日本への脱皮を象徴する女神の像」(会場で配布されている、小田原のどかによる本展解説「展覧会に寄せて」参照)としての役割が期待されていた。

 本展「PUBLIC DEVICE」ポスターに映された、3人の女性とおぼしき後ろ姿。この画像は1953年6月11日付の「平和新聞」に掲載された報道写真がもとになっています。引用元の画像も本展にこっそりと展示されていますが、これは基地とおぼしき場所で米兵が裸の女性たちに「バンザイをしろ」と迫る姿を捉えた衝撃的な写真です。韓国の基地で撮影されましたが、当時の新聞では立川基地で撮影されたものだと報じられました。反戦運動の高まりを醸成するため、メディアによって女性の裸体が利用されたのです。(小田原のどか「展覧会に寄せて」)

3人の女性の裸身の宣伝利用という点で、《平和の群像》と「写真」とは共通する。また、両者を重ね合わせることで、「文化日本」を取り囲む「米兵」の存在が鮮やかに照射される。

2階会場の奥の壁には、経ヶ岬京都府京丹後市)の柱状節理に投影された巨大な目の写真が貼り出されている。在日米軍のXバンドレーダー配備をテーマとする、サイドコアの《岬のサイクロップス》と題された作品(燈台に設置される「目」の映像作品も脇に展示)。巨人の名をキュクロープス(Κύκλωψ)というギリシャ語ではなく、サイクロップス(Cyclops)という英語の表記によって、裸の女性にバンザイをさせる権力の所在を示す。靉光の《眼のある風景》のように目は影に隠れはしない。ジョージ・オーウェル(George Orwell)の小説『1984年(Nineteen Eighty-Four)』に登場するポスター「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている(Big Brother is watching you)」よろしく、常時監視体制を人々に植え付けるようだ。最近、自動車メーカーのボルボが"A million more."と題したキャンペーンで「ドライバー・モニタリング・カメラ」の設置を謳う広告を目にしたが、それは安全という否定し難い価値を錦の御旗として規律の内面化を推し進める規律訓練型権力の更なる進展を象徴する。近代社会が大量消費社会へと変遷する過程で芸術家の彫刻作品がマネキンに置き換わったように、高度情報社会において、モニュメントも「ビッグブラザー」が公共空間に屹立するのではなく、「リトルブラザーズ」のスマートホンの中に遍在する(井田大介のインスタレーション《Photo Sculpture》の映像作品を参照)。彫刻がスマートフォンの液晶画面(=光)に表示されるものとなったことは、小田原のどかがネオン管で造形した高村光太郎筆「ロダンの言葉」や女性の裸体(インスタレーションロダンの言葉/高村光太郎をなぞる》の一部)で示されている。

サイドコアの《岬のサイクロップス》すなわち「アメリカの目」の向かいには、ジェームズ・モンゴメリー・フラッグ(James Montgomery Flagg)がアメリカ陸軍募兵ポスターに描いた「アンクル・サム」の人差し指を突き出す手すなわち「アメリカの手」の相似となる、会田誠の巨大な手のオブジェ(《MONUMENT FOR NOTHING V》の一部)が対峙している。会田作品の手は、餓死した日本兵の手であり、国会議事堂を模した墓石を指弾する。このオブジェは、ねぶたの山車灯籠のような「つくりもの」である。歴史を想起する手法として、静的かつ恒久的なモニュメントではなく、動的かつ仮設的な祭礼を呈示する。そこにはモニュメントが永遠なんてありえない、あるいはモノが消去され(書き換えられ)てしまうという諦観から、共同的な記憶としての祭礼への期待が示されている。会田作品の傍らには、戸谷成雄の《地下の木Ⅱ》が置かれる。モニュメント(=彫刻)ではあるが、凸ではない。「光の肛門」という穴の彫刻、凹の彫刻である。彫刻を見ることで見られることを意図した作品であり、死者からの視線(=歴史)を捉えよと訴えるものだ。「光の肛門」の先に広がるミクロコスモスは果てしなく、書き換え不能。会田作品とは別種の"MONUMENT FOR NOTHING"とも言い得よう。あるいは、展示のため溶接・設置した後、解体・撤収されてしまう青木野枝の作品は"MONUMENTS LEAVE NOTHING"であり、仮設的な祭礼としての彫刻とも評し得る(映像作品《微塵解体》)。

屋外には、小谷元彦の《Torch of Desire―52nd Star》が設置されている。この企画全体を統一する作品だと考えられるが、自由の女神がセーラー服に着替え、ダビデ像のポーズをとる。銅あるいは大理石からウレタンへ、アメリカ(50 states=50 stars)から日本(51st star?)へ、石と投石器(武器)からタバコとライター(嗜好品)へ、女性から男性へといった転換。52nd Starとは? ゴリアテとは?(何に抗するのか、あるいは抗しないのか)